売春婦の日常たるもの、こうでなくては。 |
←Prev/Index/New→ |
2003年06月03日(火) 『 尿管カテーテルの後遺症。 』 |
もう、全く、信じられないほどの病院の悪さ。 救命救急センターへ搬送されて良かった。 最初の病院でずぅっと居たら、あたしは 自分の生きたい意思に反し、冗談ではなく、 死んでいたな、と。 一日半、体動をしなかったが為に 筋肉は圧座され脚は動かず、御尻の褥瘡(じょくそう=床ずれ)は膿んでくる。 本当に,あたしは死にたかったのか、今では断言できない。 心だけでなく、肉体そのものが死んでしまわなくて良かった。 肉体が死んでしまったら、あたしは今、こうやってキーボードを打つことも出来ないし、 大好きな人の日記も読めない、 大好きな人の本が出されるのも読めなくなってしまう。 新しいあたしに電話してくれた人の声も、聞くことはできなかった。 なんて尊いのだろう。 ずっと消してしまいたいと想ってきたけれど、形は刺々しくとも、 命を授かって、あたしは色んなことが出来る。 尿管カテーテルの後遺症。 毛は抜け、ただれ、誰にも見せれないほどグロテスク…。 後遺症を出来るだけ早く治して、また自分を見失わないように、 新しい事を始めたい。 これから何を書いていこう。 エロを描け得るだろうか。 あたしを愛してくれる人、イコォル・運命の人からは 標準語で電話がかかってくる。 あたしは大阪弁バリバリで少し恥ずかしいけれど、 恥ずかしげもなく,大阪丸出しでお話をする。 …実を言うと、標準語はたまに、聞き取れないときがある。 聞き返すのも悪いので、自分で相手がなんと言ったかを想像し、 話を自分で繋げる…。 そうして、PCにも携帯にもメールが入る。 「彼」も、あたしも、寂しいらしい。 東京から大阪へ、また来てくれるみたい。 あたしが入院しているときには、毎日のように病院へ来てくれていたそうだ。 (ICUに入っていたときなどは昏睡状態であったので覚えていないが…。) 9日にANAホテルで会うことになった。 歩けないあたしは、ハンディキャップルームを用意されるところだった。 が、自分は歩けると信じて、それは遠慮して普通のお部屋で良いです と「彼」に伝えておいた。 なんだか、楽しみだ。 4年後には、間違いなく・運命の人が迎えに来る。 その前にあたしは逃亡しよう。亜米利加へ。 夢を叶えるために、大学へ通うつもり。 まだ、「彼」の妻になることはできない。 自分のやりたい事を済ましていないから。 まだ、あたしに出来ることはあるのだから。 あたしはこれから、「彼」を好きになっていくかも知れない。愛するかもしれない。 でも、どんな状況に置かれたとしても、 夢を見失わないように、生きていきたい。 |
☆:::有難くも、をリンクしていただいているサイト様:::☆ 泌尿器科医うろろのホームページ*** うろろさま。 #Mammy*** ゆみかさま。 |
ありがとう。 人のかた♥ ここも往ってね☆→ |
・ | ダンボの耳。(性的 欲求の捌け口) 携帯フォト日記 |
・ | 消しゴむ。 |