やがて楽しき

日々つれづれ、ときどきSMAP。


過去ログからの検索はこちらから
やがて楽しき
2004年06月04日(金) across the universe


3年前、『模倣犯』を読んだ感想として、こんなことを書いたことがある。



例えばラッシュの電車に乗ってる時に、ふと、隣に立ってる冴えない小父さんを見て、
あぁ、この人にも子供時代があって、家族があって、本人にとっては大切な想い出とか、悲しい思いとか、
いろんなコトが、この禿げかけた頭の中に詰まってるんだろうなぁ…
って不思議な気分になることがある。宮部さんの小説を読むことは、そんな気分に似てる気がする。



私は血の出る映画とか映像がえらく苦手なのだけれど、
それは自分が実際に体験する痛みよりも、体験できない痛みの方が数倍痛いからだ。
なぜ数倍痛いのかと言えば、まさに今その痛みを経験しているその人の中には、
それが、たとえ冴えない小父さんであったとしても、「いろんなコト」が詰まっているからだ
(あ、別に小父さんに対してセクハラしてるつもりじゃないですよ)。
そして、その「いろんなコト」は、その人が死ぬと同時に全て空中に消えてしまって、
どんな魔法を使おうとも、二度と再生することはない。
それを考えると、私は心の底から絶望する。
人類始まって以来、そうやって失われてきた「いろんなコト」の質量を思い浮かべることは、
宇宙の果ては一体全体、どういうことになっているのだろう、と考える時の絶望感とよく似ていて、
私は鳥肌の立つ腕をさすることになり、同時に、宇宙的に全てを愛しいと感じる。

人を殺してはいけない理由。
私にとっては、そういうことなのだけれど。

でも、反面。
私の小学校時代がどんなに楽しかったとしても、明るい太陽の色に彩られていたとしても、
当時を思い返す時、その色彩の中にすーっと薄墨の筆を滑らせた跡が見える。
そして、その一筆は、強弱はあろうとも、今に至るまでずっと途切れることなく続いているのだ。





Copyright(C) 2001-2005 "Greena" All rights reserved.
since 2001/01/06
My Enpitu追加