3年前、『模倣犯』を読んだ感想として、こんなことを書いたことがある。
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例えばラッシュの電車に乗ってる時に、ふと、隣に立ってる冴えない小父さんを見て、 あぁ、この人にも子供時代があって、家族があって、本人にとっては大切な想い出とか、悲しい思いとか、 いろんなコトが、この禿げかけた頭の中に詰まってるんだろうなぁ… って不思議な気分になることがある。宮部さんの小説を読むことは、そんな気分に似てる気がする。
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私は血の出る映画とか映像がえらく苦手なのだけれど、 それは自分が実際に体験する痛みよりも、体験できない痛みの方が数倍痛いからだ。 なぜ数倍痛いのかと言えば、まさに今その痛みを経験しているその人の中には、 それが、たとえ冴えない小父さんであったとしても、「いろんなコト」が詰まっているからだ (あ、別に小父さんに対してセクハラしてるつもりじゃないですよ)。 そして、その「いろんなコト」は、その人が死ぬと同時に全て空中に消えてしまって、 どんな魔法を使おうとも、二度と再生することはない。 それを考えると、私は心の底から絶望する。 人類始まって以来、そうやって失われてきた「いろんなコト」の質量を思い浮かべることは、 宇宙の果ては一体全体、どういうことになっているのだろう、と考える時の絶望感とよく似ていて、 私は鳥肌の立つ腕をさすることになり、同時に、宇宙的に全てを愛しいと感じる。
人を殺してはいけない理由。 私にとっては、そういうことなのだけれど。
でも、反面。 私の小学校時代がどんなに楽しかったとしても、明るい太陽の色に彩られていたとしても、 当時を思い返す時、その色彩の中にすーっと薄墨の筆を滑らせた跡が見える。 そして、その一筆は、強弱はあろうとも、今に至るまでずっと途切れることなく続いているのだ。
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