私は痛いことが嫌いだ。ここで言う"痛いこと"とは、肉体的に痛いこと、である。 リアルに痛いことももちろん嫌いだけれど、バーチャルに痛いことはもっと嫌いだ。 リアルに痛いことは、どのくらい痛いことなのか否応なしに分かるけれど、 バーチャルに痛いことは、いったいぜんたい、どのくらい痛いことなのか分からないから、 余計に痛くて、余計に怖い。くわばらくわばら。
だから、血の出る映画や痛いことメインの小説は、出来うる限り避けて生きてきましたよ (私にとって一番恐ろしいのは、いつの日か、クサナギさんがスプラッタームービーに出演することです)。 よって、今年の芥川賞の一方なんて、題材を聞いた瞬間に読みたくても読めないはずだったのですが、 2編読めて780円と言われちゃぁねぇ。というわけで、文藝春秋を買いました。 案の定、『蛇にピアス』(金原ひとみ)は、痛そうな場面が出てくるとスキップしてしまったので、 読みました、とは口が裂けても言えない(この表現も痛いよー)状態だし、 共感もしないし、ましてや感動もしませんでした。 でも、ちょっと引っ掛かる。 この人がいつか題材に頼らない作品を書いたなら、もう一度読んでみたい、と思うような引っ掛かり。 『蹴りたい背中』(綿矢りさ)の方が世界は近しいけれど、表現の才は感じるけれど、 引っ掛かりはやや弱い感じでしょうか。
それから、『王国 その2』(よしもとばなな)を読みました。 『その1』の時は、なんだか私には眩しすぎたのだけれど、今回はボンヤリとやわらかい電球の眩しさで、 とても、気持ちがほっとしました。 急にSMAPの名前が出てくると、ちょっとそこだけ目が覚めてしまうけども(笑)。
そうそう、そのくだりを読んで、この前見た夢を思い出しました。 や、夢というよりも、明け方に目が覚めた瞬間、頭の中に残っていた考え、という方が正確でしょうか。 あ、私は、SMAPが、例えば100年後、どんな風に語り継がれているのか、もしくは語り継がれていないのか、 それを確かめることはできないんだ。 と思ったんですよ。 今、現在進行形のSMAPを知っている人は、誰一人として、もちろん本人たちでさえも、知ることはできないんだなぁ、と。 発想がお気楽だと叱られそうだけれど、命に限りがあるってそういうことなんだと急に実感して、とても哀しくなりました。 でも、語り継がれるSMAPと、現在進行形のSMAPと、どちらが私にとって大事かと言えば、もちろん後者であって、 それが生きていると云う事なんだよな。だから、大事なんだよな。 これは、たまたま「SMAP」というキーワードが象徴しただけで、つまり、私の周り全てが、そういうことなんだなぁ。
と、即席ポエマーになったところで、やっとクサナギさん話。 VISIO monoに、市村正親さんとの埼玉県人対談4頁。 大人の色気を目指すクサナギさんは、胸元だけは今でも十分お色気たっぷりです。 でもって、市村さんが、スマスマフリークだったり、スマコン参加組だという事実にはウットリです。 ドラマ・3月号も買いました(よ、Hちゃん)。 橋部さんインタビューと、『僕と彼女と彼女の生きる道』1〜3話のシナリオ掲載。
てな感じで、先週末あたりから、映像より活字な生活です。 ちょっとペースが戻ってきたかな。
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