中居正広様、ようこそ、めくるめく30's Worldへ!
って、どうなんだろうなぁ。 私が年齢的に一番焦りを感じていたのは28歳頃で (今となれば、何に焦っていたのかも忘れてしまったわ)、 29歳になる頃には年齢云々に想いを巡らす機会もガクンと減り、 30歳になった時は、結局何が変わるでもなし…って気分だったのだけれど。 ただ、周りの人々が「おまえも30かぁ」と口々に言っては盛大にお祝いしてくれたので (30本の薔薇の花束を贈ってくれた人もいれば、30個の温泉饅頭をくれた人もいた)、 あら、なんだか今年の誕生日はお得じゃーん、って感じだったっけ。
最近の日本人の精神年齢は、実年齢マイナス10歳くらいでちょうどいい、などと申しますね (この前読んだ河合隼雄さんと吉本ばななさんの対談本『なるほどの対話』にも同じ話が登場してました)。 これは自分に置き換えると至極納得でして、 実はワタクシも中居さんに先駆けること数日前、コッソリと一つ歳をとったりなんかしていたのですが、 いや、もう、実年齢と精神年齢の乖離は年々激しさを増すばかり (現在、推定乖離値15ポイント )。 あな、おそろしや。
あ、私の話なんかどうでも良くて。三十路の中居さんについてでした。
彼の場合、既に10代の頃から、ものすごい勢いで"大人"として頭を回転せざるを得ない立場にあったわけで、 いってみれば、実年齢プラス10歳どころではない日々を過ごしてきたのではないかと拝察するわけです。 でも、同時に年齢ジャストな中居正広も居ただろうし、マイナス10歳な中居正広の時間もあったかもしれない。 だから、お祭りとしての「アイツが30!」ってのはあるにしても、 あるいは、ばりばりアイドルなSMAPさんに30歳出現ってのは「!!!」であるにしても、 中居ちゃんにとって実年齢ってのは、まぁ、ちょっとした目印に過ぎないのではないかと、 これまた勝手に拝察させていただく次第です。 だから、実はSMAPの中で一番掴みどころなく感じるのは中居くんだったりするんだよね。うむ。
SMAPは、中居くんがSMAPでいたいと思っている間は永遠に続くものだと、 これまたまたまた勝手に信じている私なので、 いつまでも彼にそう思ってもらえるSMAPであることを心から願って止みません。 移動車べこべこにするヒトとか、ロビーで大の字で寝るヒトとか、ギャラ貰いながら視聴者になるヒトとか、 まぁいろんなヒトがいますけど(あれ?1人か?)、どうぞよろしゅうお願いしますねぇ。
…と、人生3本目の液体SMAPを飲みながら、思う朝でありました (お腹がぷがぷー)。
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■…と、朝イチで中居ちゃんのお誕生日に想いを馳せた日曜日、 私のところにも数日遅れの誕生日プレゼントが届きました。 復刊された舟越桂作品集、『水のゆくえ』。 須賀敦子さんが文を寄せていることもあって、とても欲しかったのです。嬉しい。 それから、ミニチュアの石庭と、ミニチュアの苔鉢。 たとえばブランド物の高価なものよりも、こういうプレゼントの方が嬉しかったりするんだなぁ (いえ、ブランド物も大大大歓迎なんですけども(笑))。
■3日前に蕾の状態で買ってきたテッポウユリが次々に開いて、部屋中に良い香りが。 私の中では、勝手に"白いユリ=朗読者クサナギツヨシ"なので (ホントはカサブランカなんだけどさ…その花屋さんのカサブランカは1本1500円だったのよ。有り得ないっ)、 椿姫CDを久しぶりに聴きました。 一度聴いたきり開かずにいたのは、なんでしょか、頭の中で感想をまとめるのがとても難しくて。 …というか、ホワイトキューブを観た感想とほぼ同じ、ということなのかなぁ。 読み手としてはCDが収録された2月よりも6月の方がずっと前に進んでいたと思うし、 "オペラと朗読の融合"という点でも初演には手探り状態であることが垣間見えていたように思うけれど、 眠れない夜や台本のスマイルマークや呼吸困難、そんないろんなものが綯い交ぜになった結果としての クサナギツヨシの声には、その時の彼と、その時の物語が宿っているわけで。 そして、土屋さん、高田さん、田村さん、それぞれのインタビューからも感じ取れたこの作品の可能性と、 本人の言葉から感じるクサナギツヨシの可能性。 それが、再演で実現していたことに、あらためて静かに感動してしまったりして。 上手く言えなくてもどかしいのですが。
■明日の生スマは、たぶんリアルタイムでは見れません。ちぇっ。 次に日記を更新できるのは水曜日頃かなぁ。 この週末にいただいてるメールのお返事、ちょっと遅くなってしまいそうですが、 しかと読ませていただいてます。しばし、お待ちくらさい。
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