I wanna Keep A-Rockin'
DiaryINDEXpastwill


2001年06月28日(木) 何もしなかった日。

今日は精神科の医者の言い付けに従い、何もしなかった。
就職の事も考えず、ギターも手にせず、ひたすら CD を聴きながら、ゴロゴロしていた。

抗鬱剤のせいで朦朧とした意識の中で、なぜか今までの自分を思い返していた。

天才だった幼少時代。
道行く車の名前を全部言えた。
絵も上手かったし、オルガン教室でも優秀だった。

秀才だった小学生時代。
そろばんにのめり込み、大会で数々の賞を取った。

野球が好きで、長嶋が好きだった。
子供会のソフトボールでは、弟がピッチャー、俺がキャッチャーで「兄弟バッテリー」を組んだ。
学校のソフトボール部ではそうもいかず、何とかライトのポジションを貰ったが、打撃力がなく、あまり使い物にならなかった。

中学時代、相変わらず成績は悪くなかった。
ニュー・ミュージック全盛の時代で、「モーリス持てば、スーパースターも夢じゃない」とばかりに、ツッパリがスリー・フィンガーで、さだまさしを歌っていた。
俺も「これは乗り遅れちゃいかん!」とばかりに、フォーク・ギターを買って、アリスをコピーした。

そんな時、甲斐バンドが「HERO」を引っさげて俺の前に現れた。
もう、他の全ての事が見えなくなる位、夢中になった。
今思えば、俺が生まれて初めて自己主張したのが、「甲斐バンドが好きだ」という事になるのかも知れない。

部活はテニス部だったけど、やっぱり運動神経は良くないようで、一軍と二軍を行ったり来たりしていた。

高校は、浜松市内で2番目に優秀な進学校に入った。
先輩のバンドに入れてもらって、洋楽をいっぱい吸収した。

自分のバンドを作ってからは、レパートリーを Cream や Zeppelin, Purple 等の「いなたい」Hard Rock に絞り、地元の民放 TV、ラジオ等に出まくった。
他の高校にもファンができたりして、3年の時の文化祭(解散ライヴ)は大盛況だった。

でも、女の子にもてた訳じゃない。一応、彼女らしき存在もなかったわけじゃないけど、何故か俺達のバンドは Bass と Drums がもてた。
俺は妙に甲斐さんを意識して、へんてこりんな髪型で、しかも銀縁の眼鏡をかけていたから … ああ、思い出したくない。(笑)

そんな事にうつつを抜かしてたもんだから、大学入試は全滅。親にこっぴどく叱られた。

家出同然のように家を出て、名古屋の河合塾で浪人生活。
この時はさすがにストイックに勉強しまくった。
新しい友達も作らなかったし。

「とにかく受からねば。受かって東京に行かなきゃ、何も始まらない。」と思っていた。
東京でバンドをやりたい。キャンパス・ライフ(死語?)をエンジョイしたい。(これも死語?)

そんな甲斐あって、第一志望の早稲田大学法学部に合格。
花の東京デビューだ。

でも、今考えると、そうして東京に出て来た事が、今現在の俺の始まりだったような気がする。

退屈な事を書いてしまったかな?
明日に続く … かも。

終わり。


鈴木 泰裕=国分寺の大森信和 |MAILHomePage

My追加