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2003年03月27日(木) 紙一重。

 自分でも感情の起伏が激しく、人の好き嫌いもはっきりしていると思うのですが。

 好意の段階 … 好き<大好き<愛してる<誰にも渡したくないほど愛してる
 憎悪の段階 … 嫌い<大嫌い<憎い<存在自体が許せず抹消したいほど憎い


 だとするならば、今までの人生で、好意の最終段階まで到達した人数と、憎悪の最終段階
まで到達した人数は、ほぼ同数なんだと自己分析。両方併せても片手で余裕で足りるし。
そして、正反対のベクトルとはいえ、対象への想いの深さで考えたら、憎しみと愛情は、
限りなく紙一重で似ているような気がしてきました。

 最大級の好意≒最大級の憎悪

 瀬戸内寂聴サンが、なにかで書いていましたが、人は自分が10愛した相手には、
12愛して欲しいと考えてしまうモノ。いつでも自分の注ぐ愛情以上に、相手に
愛されたいと望むから、いつまで経っても満足できないのだそうな。確かにそうかも。

 相手の愛情に満足できずにいると、その欲求不満がそのまま憎悪にスライドしやすい。
可愛さ余って憎さ100倍とは、まさにこのこと。一番愛した人は、一番憎い人。キャッ。

 反対に、名前を聞いただけで、生理的嫌悪感と怒りで震えが止まらなくなるほど
嫌いな相手も、その一挙手一投足が気になって気になって仕方ない。

 相手に最も効果的な方法で打撃を与えることを、寝ても覚めても考えてるんだから、
これも一種の恋。そして、そんな自分の執着が嫌で、余計に相手を憎むのよね。
まさに憎悪のメビウスの輪。抜けられな〜い。ぐはっ。

 ただ、今までの少ない私の経験から見ると、愛情が憎悪にシフトすることはあっても、
憎悪はどこまでいっても愛情にはならないことを考えると、憎悪の方が強いのかも。

 愛し合ってる両想いよりも、憎しみ合ってる両想いの方が、執着の度合、両者の絆
としては強い気がするわ。際限がない分、ものすごく不毛だけど。
やっぱり愛し合った方が楽しいし、精神衛生的にも健全だし、そっちがいいな。

 ところで、昔のアニメの主題歌で、「女の子は、好きと嫌いだけで普通がない」
と言っていましたが、好きでも嫌いでもない相手は、興味の対象外ということで、
存在しないのと同義である という観点から見れば、確かに正しい意見かも
しれません。女の子って残酷だね。
 


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まめ。 [HOMEPAGE]