自分でも感情の起伏が激しく、人の好き嫌いもはっきりしていると思うのですが。
好意の段階 … 好き<大好き<愛してる<誰にも渡したくないほど愛してる 憎悪の段階 … 嫌い<大嫌い<憎い<存在自体が許せず抹消したいほど憎い
だとするならば、今までの人生で、好意の最終段階まで到達した人数と、憎悪の最終段階 まで到達した人数は、ほぼ同数なんだと自己分析。両方併せても片手で余裕で足りるし。 そして、正反対のベクトルとはいえ、対象への想いの深さで考えたら、憎しみと愛情は、 限りなく紙一重で似ているような気がしてきました。
最大級の好意≒最大級の憎悪
瀬戸内寂聴サンが、なにかで書いていましたが、人は自分が10愛した相手には、 12愛して欲しいと考えてしまうモノ。いつでも自分の注ぐ愛情以上に、相手に 愛されたいと望むから、いつまで経っても満足できないのだそうな。確かにそうかも。
相手の愛情に満足できずにいると、その欲求不満がそのまま憎悪にスライドしやすい。 可愛さ余って憎さ100倍とは、まさにこのこと。一番愛した人は、一番憎い人。キャッ。
反対に、名前を聞いただけで、生理的嫌悪感と怒りで震えが止まらなくなるほど 嫌いな相手も、その一挙手一投足が気になって気になって仕方ない。
相手に最も効果的な方法で打撃を与えることを、寝ても覚めても考えてるんだから、 これも一種の恋。そして、そんな自分の執着が嫌で、余計に相手を憎むのよね。 まさに憎悪のメビウスの輪。抜けられな〜い。ぐはっ。
ただ、今までの少ない私の経験から見ると、愛情が憎悪にシフトすることはあっても、 憎悪はどこまでいっても愛情にはならないことを考えると、憎悪の方が強いのかも。
愛し合ってる両想いよりも、憎しみ合ってる両想いの方が、執着の度合、両者の絆 としては強い気がするわ。際限がない分、ものすごく不毛だけど。 やっぱり愛し合った方が楽しいし、精神衛生的にも健全だし、そっちがいいな。
ところで、昔のアニメの主題歌で、「女の子は、好きと嫌いだけで普通がない」 と言っていましたが、好きでも嫌いでもない相手は、興味の対象外ということで、 存在しないのと同義である という観点から見れば、確かに正しい意見かも しれません。女の子って残酷だね。
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