2003年03月21日(金) |
優しさは優越感の裏返し。 |
観てきました。「戦場のピアニスト」。
宣伝ポスターが、ナチス将校が脇に佇み、廃墟の中主人公がピアノを弾くという、 なんとも煩悩を擽る画面構成、しかも戦争モノで、主人公がユダヤ人で、舞台が ワルシャワで、ナチスの将校がいい人とくれば、大抵お涙頂戴の、戦争という 異常事態の中での心温まるヒューマニズムストーリーと、相場は決まっていそうな ものですが、いい意味でこちらの予想を裏切ってくれて、なかなか興味深かったです。
主人公は題名からも判るとおり、ユダヤ人のピアニストなのですが、 よくありがちな、「主人公はとてもいい人で、ピアニストとしても最高」 というような、賛辞づくしの設定ではないのですね。
彼のピアニストとしての腕前の評価は、劇中一度も、判りやすい賛辞の言葉で 語られることはありません。 だけど、重要な場面での演奏などは、そんな説明を持たずとも、観客に 大きな説得力を持って迫ってくる。
また人間的にも、いい人というよりむしろ、心の弱い他力本願な人物という ネガティブなイメージが強くて、「なんでこんなヤツを、自分を危険に曝してまで みんなが助けようとするのだろう」と、思わせてしまうような腰の引け様。
結局様々な人に助けられ、主人公は過酷な状況に置かれながらも、悪夢のような 戦争を切り抜け、生き残る訳ですが、「よかったね」と単純に涙できない。
何故、主人公の彼は生き残ったのか。何故、他の人は助からなかったのか。
個々の日頃の行いや人柄など、そんな評価で人の生死は定められるのではなく、 劇中でも語られるとおり、まさに「神の御意志」と呼ばれるような、不確定で 不平等なものに、いとも容易く翻弄される。
また、他人の救済、という、美談として語られることの多い行為の意味についても、 考えさせられます。
自分以外の人間の救済は、自分が相手よりも恵まれた環境にあり、状況的にも 心理的にも余裕がある時にのみ出来ることであって、自分が窮地に陥り、余裕が なくなった時には、差し伸ばされ一度は握った手を振りほどくことは、果たして 罪悪感を抱き、他人に責められるに値する行為なのか。
窮地に立った自分の救済を、なんの見返りもなく、「相手の良心」という、 弱者に対する絶対的な味方を振りかざして、貪欲に求める傲慢さは許されるのか。
そして状況が一変し、弱者と強者の立場が入れ替わった時、人は必ずしも 受けた恩に報いるだけの行いや、その実現への努力が出来るとは限らない。
すべての人間は、程度の差や立場の差はあれ、他人に犠牲を払わせたうえで 成り立つ存在であり、その犠牲の代償を払うことは、とても難しい。
「神様は不公平で気まぐれだ」 そんな遣る瀬無くドライな現実を、淡々とした質感で、美しい映像と音楽で 緩和させつつ描き出すような映画です。 心も温まらないし、感動の涙も流れない、でもなにかが引っかかる、そんな感じ。
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