2010年10月08日(金) |
■ヘッダ・ガープレル |
オケピで譲って貰いました。
良席で、しかも、 ちょっと足下みちゃったお値段だったのですが、 すっげー、久しぶりに苦痛な舞台でした。
ヘッダ・ガブレールという町の名士のお嬢さんが、 退屈しきって新婚旅行から帰ってくる。 夫、テスマンと結婚したのはなりゆきで、 多分だけど、世間の後ろ指を指されたくなかったから。
教授を嘱望されている男と結婚すれば、暮らしは安泰である。 ところが、そこにライバル登場。 身をやつしたはずの、夫のかつての友人、 レーヴォボルグが新しい論文を携え、カムバックする。
彼を立ち直らせ、支えたのはエルヴステート夫人。 彼女は昔のヘッダの学友というか、後輩で虐めていた相手、 そして、レーヴォボルグはヘッダの昔の愛人で、 まだ、ヘッダに未練たらたら。
そのヘッダの口車に乗って、出かけた判事のパーティで、 大事な原稿を落とした、レーヴォボルグ。
その原稿を偶然、手に入れたヘッダは、レーヴォボルグをそそのかし、 彼女がどうしてもやりたかったことを実行に移す。
誰かの運命を操ってみたかった彼女の、 それ故に、操られることになった彼女が、下した決断とは?
……というのが、おおざっぱすぎる筋です。
えーと、実は去年、小沢真珠さんがやると聞いた時から、 気になっていて、これは見に行けなかったのですが、 戯曲だけさらっと読んでいました。
その時、思っていたヘッダって、もうちょっと、気ままで愛らしく、 激しく、自分の感情に素直な人だとなあと……、
でも、単に冷たくて陰険な女が舞台に居る。 何で彼女がモテモテなのか、意味が判りません。 ダンナと愛人と、男友達というか、出てくる男は皆、 ヘッダにラブラブです。(笑)
大地の真央様は本当に美しいのですが、ただ、陶器のように美しいだけ。 時折、エモーショナルに演じてくれるのですが、全般的になんだか平坦。
劇中の彼女は自分が思っている程、自由じゃなかったのだが、 しかし、真実、自由になる為というか、 弱みを握られた男から支配されない為に、死を選ぶという結末が、 くっきりと描かれています。
当時のノルウェーには「クリスチャニア・ボエーム」名乗る知識人達の グループがあり、ヘッダもレーヴォボルグもその一派であるという、 日本人には?でも、ノルウエー人には納得の設定があったようです。 @パンフレット参照
その彼らの画期的な思想は、 『キリスト教の教えをはじめ、ノルマや因習を捨てなくてはならない、 人類として、前に進むには頭で考えるのではなく、 もっと欲望によって行動しなくてはならない』というものであり、
彼らの約束事の一つが『自分の命は自分で決着をつける』こと。
ヘッダはレーヴォボルグにそれをさせたかったが、 男は女の思惑とは真逆に、そのくせ結果だけは女の意図した方向に、 向かったという皮肉な結果を生み、だからこそ、残された女は、 その男が出来なかったことをなしとげようと、 自分の自由を、自分という人間を守る為に、銃身を引く。
つまり、原文のテキストからは、それは少なくともあっぱれな、 自殺のはずなんだけど、 なんだかあのヘッダだと、 単にヒステリーで、ついでにマタニティブルーで、 死を選んだと云う風にしか、思えないんだが。。。
それとも、私の単なる勘違いなのかなあ? もっと格好いいヘッダが見たかったのだけど、 その発想が違うのかしら?
でも、少なくとも、ノルウェー語から、直接、翻訳した新訳のテキスト、 三人体制という豪華な翻訳作業は功を奏していると思います。
この皆様で、他の作品を読みたいなと思いましたもの。
そして、違う役者さんの上演を。
ぶっちゃけって云うと、やってくんないかなあ、たか子さん!! ということで。
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