海津ほろよい日記
湖畔の酒蔵 ほろよい社長の日常

2003年05月14日(水) 女将の会

地方を旅行して楽しみなことは「その土地の美味しいものと、地酒を楽しむ」ことだ、という人はけっこうおいでかと思います。

大都市ならともかく、地方にでかけナショナルブランドのお酒が出てきた日にはゲッソリです。

東北や、北陸地方では、県産酒をつかう居酒屋さんやホテル、旅館が大半で優等生なのですが、滋賀県はまだまだナショナルブランドの比率が、県産酒よりも高い県なのです。

灘、伏見という二大生産地の近くにあったこと、県内の蔵元がその下請けを長年やってきたという歴史が、県産酒メーカーを卑屈にさせ、ナショナルブランドに県内市場を奪われる大きな原因になったのです。

昭和30年代から50年代ごろのナショナルブランドの地方侵略たるやすさまじく、リベート攻勢、10本に1本どころか2本を無料でつける現物付きサービス(2本つけるので○○盛と揶揄されたメーカーがありました)、新規開店の飲み屋さんに対する自蔵ブランド名入りの看板、酒器、お燗器の無料提供など枚挙にいとまがありません。

今でもパレット単位で買ってくれるディスカウンター相手には、似たようなことをやっているんでしょうなきっと。

先月、発泡酒の増税をあおりたてディスカウンターと結託して、あらけなく発泡酒をうりさばいた大手ビールメーカーと同じです(たかが350缶1本で10円の値上げなのに、今買わないと損なようなムードにさせ、ケースにおまけのラップまで貼付けて、個人に何ケースも売りつけるなど催眠商法まがいではありませんか。売れれば何をしてもよいのか?君たちは!)。

当時は地酒メーカーの大半もまた、ナショナルブランドと同様の勝ち目のない値引き合戦に参戦していたのですが、1部心ある地酒メーカーが志向したのが、品質向上による商品差別化です。

最初は添加する原料アルコールを減らしたり、精米歩合を5%でも向上させたり、ブドウ糖やアミノ酸、酸味料を使ったお酒を全廃することからはじまり、本醸造酒や純米酒、吟醸酒など特定名称酒へのシフトにつながりました(ちょうどこの頃が第1次地酒ブームとよばれ、越乃寒梅などがもてはやされはじめた時分です)。

その後、値引き競争に疲弊した地酒メーカーもその潮流に合流し、努力した結果、「量販のナショナルブランド」VS「品質と個性の地方地酒ブランド」という対立構図が、現在、漠然とではありますが消費者さんに出来上がりました(残念ながらそのどちらにもあてはまらない清酒メーカーが実際にかなりの数存在し、経営難に陥っています)。

これから、私たち地酒メーカーがやらねばならないのは、圧倒的な量販力によってナショナルブランドに席巻された地元市場の失地回復であり、そのための武器は地酒のもつ、品質と個性を前面に押し立てた販売戦略です。

前振りがながくなりましたが、その一環として、本日、仲立ちしていただく方があって、滋賀県の旅館経営者の女将さんたちが組織する「女将の会」の代表者に、滋賀県酒造組合連合会・需要開発委員長としての立場でお会いしてきました。

滋賀県の地酒の良さを実際に知ってもらい、滋賀県の食材と地酒を、最高の条件でお客様に提供していただく。そうした勉強会をぜひとも実現したいとお伝えしてまいりました(決して難しい講話ではなく、こうしたらもっと美味しく料理と地酒がたのしめますよ。そうしたらお客様と地酒談義に花が咲くではないですか。という体験会のようなものです)。

スケジュールと概要がきまれば、拙ホームページでもお知らせいたします(あくまでも酒食を提供しているプロの方を対象にした勉強会なので、一般の方は御遠慮ください)。

一般の滋賀県地酒ファンの皆様には、県産酒のおいていない居酒屋さんや、旅館、ホテルなどに不幸にしておいでになった折に、「なんで滋賀県の地酒がおいてないのお!いつも飲んでる○○なんて最高よお(ちょっとふてくされた桃井かおり風に)」などと御意見いただき、援護射撃をお願い申し上げます(なんてったって消費様は神様ですから、わたくしたちが100ぺん言って実現できないことを一言で実現させてしまうかもしれません)。






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