あと少し、あと少し、とにかく健康に当日を・・・と願うばかり。
娘は毎朝30分早く起きて、勉強するわけではなく「なわとび」の練習をしている。 来月半ばに学校で「なわとび大会」があるので、それの練習のためだという。
息子は学校から帰ってくるなり「なわとび」を持って公園へ行く。 野球も教えてもらったりして毎日楽しく過ごしているよう。
子どもは元気に外で遊ぶのがいいのだけど、風邪ひきさんが多いので心配な面もある。 早く受験が終わってほしいという気持ちと、まだ受験まで準備ができていないという不安と、いっぱいいっぱいだ。
併願校の過去問の15年度,14年度をやらせ、6割以上は取れていた。 だが第一志望校の算数2回目については、1回目よりもできなくなってしまっていて、 中には16点とか18点とか、声を荒げてしまいたくなる結果だった。 答え合わせをしながら、どうしてそういう答えになったのか聞き、もう一度確認してごらん? とやらせると単なる計算ミスばかりだった。 なぜ「わり算」ができないのだろう。 下の子だってできるくらいの簡単な計算を間違うなんて。 どうして「写し間違い」をするのだろう。 そんなことばかりで嫌になってくる。
本人は間違いに気付けば自分に腹を立て、私にもひどい態度をとる。 部屋にこもり大声を出してみたり物に当たったり、私はストレスがたまってくる。 なだめる元気も、励ます元気も、使いたくない。 夫はそんな娘をみて、性格が悪すぎる、と腹を立て、床を叩く。 夫のこぶしが壁へ床へドンドン・・・と、無意識のように連打が続く。 「それ、怖いからやめてくれるかなあ。」
私は娘と夫に挟まれ、精神的にいっぱいいっぱいになっていく。
洗面台で顔を洗う。 深呼吸する。 目をつむる。 私の中のストレスのやり場。 頭の中の私は、家の中をめちゃくちゃにし暴れ回っている。 家具を壊しまくり、本を投げつけ、フライパンも鍋も醤油も壁に投げつけている。 頭の中の私は、すべてをめちゃくちゃにしたがっている。 頭の中の自分と、身体を動かす自分が、触れたがっている。 頭の中の自分でもない、身体を動かす自分でもない自分が、 「物を壊したらお金かかるよなあ」とか、「取り返しつかないよなあ」とか、「それでいいわけないだろ」とか、「きっと今だけだよ」とか、涙がつつー、つつーと流れてきて、今度は泣き続ける。 なんで毎度毎度こんなこと続けているんだろう。 疲れた、疲れた、疲れた、疲れた、本当に疲れた。
人は30分怒りを我慢できれば平気なんだと。 テレビで言ってたよ。
そうやって30分、自分の気持ちを静めていく。
日曜日朝、娘が塾に行く時にバッグにピカピカの鉛筆が入っているのを見つけた。 その鉛筆は、N研マークが入っている六角形鉛筆。 3本入りケースが3つ、合計9本だ。 受験当日に使おうと決めて話し合った鉛筆だ。
今日は受験日かい?
なぜ鞄に入っているのかい?
娘は私の質問に腹を立て怒って出て行く。
夕食前、娘は笑顔で帰ってくる。
何か忘れてないかい?
鉛筆のこと。
受験の時に使うための鉛筆なのに、なぜ今日入れて行ったの?
「持って行きたかったから。」
なんのために? 誰かに見せたいから?
「なんとなく。」
なんとなく?
(殴っていい?) (蹴っていい?)
(そういう気分だよ。)
(でもできない。)
(この気持ちをどこにぶつければいい?)
ねえ、今使って、受験前日に鉛筆が無かったらどうするの? 受験前日に買いに行くの? おかしくない? あなたのやってることおかしくない?
「ママが管理すればいいじゃん。」
(そう、私が管理していた。でも、彼女が管理するっていうから、彼女の机の中に入れたんじゃん。)
(自分の気持ちを静めたいから、丁寧に削ってしまっておいたんじゃないの?)
・・・もう今朝取り上げたんだ。 ・・・私が管理する。
本当に性格悪いね。
「ごめんなさい。ママ。もうしないから。」
もう聞き飽きた。 ごめんなさい。 もうしない。 そう言って同じことを繰り返す。 本当にもうしないで。
受験が重大なイベントだということがわかっているのかわかっていないのか。
消しゴムもハンコ作ったりしてすぐボロボロにしちゃうし、絵を描いたりして汚くするし、 シャーペンもすぐ壊しちゃうし、鉛筆なんて2日で1/3位に短くなっちゃうし、 絶対書いてるより削ってるほうが多いと思うんだけど!
今日、娘は「合格てぬぐい」を持って帰ってきた。
まず両親がメッセージを書いた後で提出すると塾の先生たちが書いてくれるというもの。
N研代表者Tさんのメッセージもそこにあり、室長、クラス担当、教科の先生たちのコメントがあった。
理科の先生からは「あなたの理科なら大丈夫!」というメッセージも添えてあった。
クラスの中でこのメッセージが入っていたのは自分だけだった、と、得意気に話していた。
私は「よかったね。」と言いながら、本当に大丈夫なのかよ、と思う自分がいる。 先生が大丈夫って言うなら大丈夫なんだろう、と思いたい自分もいる。
「ねえ、社会はどうなの?」
「よく頑張ってるね。って誉めてくれるよ。」
「国語は?」
「ふつーだったり、よかったり。よくできてるねって言われる時もあるし、何も言われない時もある。何も言われないってことはふつーなんじゃない?」
「算数は?」
「誉められる時もあるし何も言われない時もあるから、まあふつーだったりよかったり、ふつーかなあ。」
「塾では毎日テストなの?」
「うん、ずっとプリントしかやらない。」
「(パーフェクトな答案用紙を見て)塾のテストでは計算ミスしてないのにねえ。過去問では計算ミスだらけは、どうしてなのかなあ。家と塾とだと違うの?」
「家でやると緊張する。」
「家のほうが緊張するの?受験は公開模試と同じだから大丈夫だね。緊張しないみたいだし。公開模試だとできるものね。」
「そうかなあ。」
「まあ今ミスしてる部分はできるようにしていかないとね。」
「うん、わかった。」
娘のNバックにも塾の同じクラスの友だちからのメッセージが綴られていた。 今度は他のクラスの子にも書いてもらうんだと言っていた。
受かったらいっしょに行こうね!
というメッセージ。
いっしょに行けるといいね。 本当にそう思っている。
友だちもみんな合格するといいね。
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