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ニュージーランド旅行記、合計180KB。
それを全部PCに打ちこんだおばかさんの戯れ言。
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2004年07月26日(月) 2004夏 青春18きっぷ旅行記 2日目

  仙台08:15───11:06いわき11:13───11:35泉 (泉駅よりレンタカー利用)

 ずいぶん早く目が覚めた。時計を見るとまだ05:30。通勤する時に起きる時間じゃねえかよ…体に染み付いてしまっているのだろうか。二度寝して06:50起床。昨日のうちに買っておいた朝食を頬張ってホテルをチェックアウト、徒歩で仙台駅へ向かう。みんなとの流れとは逆に動いているのが心地よい。

 仙台はやはり東北地方最大の都市だというだけのことはある。駅で入線待ちをしていると満員電車(6両)がホームに到着し、乗客が一気にホームにあふれた。利府〜仙台の間で満員になるってのは結構な利用人数だと思う。

 仙台発(利府始発)・いわき行きの列車は立ち客のいない状態で出発。通勤とは逆方向なので当然ではある。ロングシートのはす向かいに座っていたおばあちゃん2人に声をかけると同じように18きっぷを使っていわきまで行くとのこと。ただ、目的が「親族が亡くなった為」ということで少し恐縮してしまう。話をしているうちに、余ったおにぎりを一つ、アメを幾つか頂戴した。それにしてもおばあちゃんは何故ああいう飴類(コーヒー飴・黒飴・金色のとがったヤツ等)を必ずといっていいほど持っているのだろうか。不思議だ。

 半分寝てる状態でいわき到着。昔は「平」という駅名だったのだけど、いつのまにか「いわき」という名前に変わっている。ここで上野行きに乗り換える。これにずっと乗っていれば東京まで一気に行くことが出来るけれど、今回は東京中心部へは行かない。いわきから3駅南にある「泉」駅で降りる。なぜここなのか?小さい頃、幼稚園〜小学校低学年まで生活をしていたからである。実に17年ぶりの訪問だ。

 まずは駅前でレンタカーを借りて、ナビも使わず適当に乗り回し。小学2年生程度の記憶を頼りに走っていると全然知らない所へ出た。小学生のときの記憶では、駅から一回だけ曲がって広い道をずーっと走り続けていれば住宅地が見えてくるはずだったのだが、全く違うところに来た。原因は、「ずーっと走り続ける広い道」を俺は国道だと思っていたからだ。後でわかったんだけどその小学生の頃の記憶がただの対向車線だけある県道だと気付いた時には、自分の当時の体の小ささを感じずにはいられなかった。そしてナビの力を借りて、ようやく見覚えのある場所へ来ることが出来た。

 2年間だけ過ごした小学校へ。当然のことながら建物は以前のまま。校舎の中へ入って職員の人に「以前通ってた者なんですが中を見せてもらえませんか」と尋ねると少し待ってくれと言われ、なんと校長室へ招かれた。校長に「最近は何かと物騒だから…」という内容のことをいくつか言われ、身分証明をさせられた。とりあえず免許証を見せようと思ったが、免許証がない。「??」とりあえず名前だけメモに記しておいた。

 それにしても、身分証明ですか…まあ仕方あるまい。『夏休みの校舎に突如20代の男が侵入、教室内を荒らし逃走』などという記事が出来ないともいえないし。首から吊るす許可証をもらい、とりあえず校舎を見て回る。さすがに俺も小学1年・2年程度の記憶じゃ大したことは覚えていないな。下足場を見て当時の雰囲気を思い出した程度だった。話によると、当時やっていた校外を行くロードレース(ミニマラソン)は交通事情から中止になってしまったみたい。個人的な話になるのだが、俺は1年2年とロードレースにおいて2年連続で学年2位をとっていた。1位を取ったのはこれまた2年連続でN君。忘れもしない。2年生の時にも同じように負けて、「次こそは勝つんだ」って思っていたのに転校が決まったときはちょっと悲しかったな。小学3年で大阪に戻ってきたけど、その時のマラソン大会は順位ではなく30秒単位でランク分けをする制度で、競争心を煽られなかった(人数が多いから皆いっぺんに走るとエライことになる)。それでもどうしても1位を取ることは出来なかったなあ。F君に絶対勝てなくって…そんな小学生の時の思い出に浸りながら、小さな机などを見て回った。

 そして次は2年半住んでいた社宅へ行こうと思ったのだが、さっき免許証が見当たらなかったので改めて財布の中を見てみるがやはり免許証がない。無くした場所は…間違いない、駅前のレンタカー屋だ。とりあえず電話をかけると、やはりコピーする際に預かってそのままだったようだ。で、まだ近場だったので免許証を持ってきてもらった。今まで知らぬ間に無免許運転だったのだ!危ない危ない。

 免許証をちゃんと返してもらい、改めて移動開始。通学路を車で通ったんだけど、これが距離の短いのなんの。当時「大きいなー」と思ってたスーパーマーケットがびっくりするほどこぢんまりとしてたのが一番の驚きだった。そして社宅周辺へ。ここは何も変わってはいなかった。変わっていたのは住んでいる人たちだけ、という感じ。建物はそのまま、当時遊びに使ってた土管も、公園のブランコ・空き地の様子などなど、本当に当時のまま。砂利道も全く舗装されたりすることなく、時間が完全に止まってしまっているかのようだった。しばらくあてもなく歩き回っていた。

 次に小名浜の名所、三崎公園へ。ここは広い芝生公園があって海沿いの小高い丘にあるんだけど、俺はそこでひざこぞうがパックリ割れるケガをしてしまい、大泣きした覚えがある。ここもかなり懐かしかった。

 思い出の地を一通り巡った後は、いわきをドライブ。海沿い、山間、けっこうブッ飛ばした。それにしてもいわきは広い!伊達に全国クラスの面積を誇る市だけはある(以前までは市の広さ日本一だったのだが、静岡市の合併により日本二になったようだ)。ちょっとやそっとじゃ違う市になりそうもない。どうも、大阪府と同じくらいの面積なんだそうな?そりゃ市が変わったりしないわ。

 夜は太平洋健康センターという健康ランドで1泊。太平洋を間近に臨んだ風呂があり、たいへん気持ちいい。運転しすぎで非常に疲れた。平日ということもあり人はそれほど多くない。ゆっくりと風呂を浴び、仮眠室にて早めに寝る。


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