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1988年05月12日(木) q

491 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/11/28 00:15

がんばれage



492 名前: 匿名 投稿日: 02/11/28 17:05

組み手の皆さん目を覚まして下さい。
ノストラダムスの予言が外れて
もう何年経つのでしょう?



493 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/11/29 18:41

読んで、真光の教義が破綻してることに気付かない
ようじゃ、ダメだね。気付いて辞めてる幹部もいるんだ。
まあ、お人好しは死ぬまで騙されて、お金を巻き上げ
られつづけなさい。(w



494 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/11/29 18:41

読んで、真光の教義教理が破綻してること。
インチキに気付いた幹部が



495 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/11/30 12:24

ここが盛り上がらないのは崇教と比べて世界の方はちっちゃすぎるからじゃないの?
なんせ崇教の一割くらいの規模だろ。いくらでっかい神殿建てても
世間は世界なんて滅んだも同然のマイナー扱いなんだよ。



496 名前: 投稿日: 02/11/30 16:58

「世紀末神のシナリオ:全人類に『火の洗礼』が迫る! 奇跡の〈手かざし〉がわれわれを破局から救う」 関口栄 著 現代書林1991.3

P136-137<終末>のタイマーは九〇年代にセットされているのか
(中略)
 神の計画がこの世界を動かしている、このことを理解しなければ、いろいろな運動や努力も、結局は人類を破滅から救うことにはならないでしょう。
さまざまな予言は、そういう神の計画を人々に知らせるために示されたものです。
 多くの予言者が、一九九〇年代に人類は壊滅的な破局を迎えることを告げています。どうして、国も時代も違い、宗教も異なる予言者達の言葉がこんなに似かよっているのか。それはたったひとつしかない、同じ真実を伝えようとしているからです。
 その代表的なものをいくつかみてみましょう。



497 名前: 投稿日: 02/11/30 17:00

(P138)
●一九九九年の七月、天から恐怖の大王が降ってくる――ノストラダムス
 十六世紀のフランス人医師ノストラダムスは、『諸世紀』という詩を書いて人類の未来を予言しました。その的中率は非常に高く、フランス革命、ナポレオンの登場、ロシア革命、ふたつの世界大戦などを言いあてています。
 ノストラダムスの予言にはひとつの特徴があります。

かれはこまかな年代には興味がなかったらしく、事件の起きる年をはっきり示さないのです。ですから、できごとの年代を知るには類推や計算が必要です。けれどひとつだけ、明確に年代を示したものがあります。有名な一九九九年七月に関する予言です。
「一九九九年の七月、天から恐怖の大王が降ってきて、アンゴルモアの大王を蘇えらせる」
ほかにも終末を告げた詩句を拾うと――
「金色の光が天から地に届き、人類に大殺戮がある」
「四十年間の異常気象が続いたあと、旱ばつが起き、大洪水が起こる」
(P140)
 これらの予言が現実味を帯びてきたのは、一九九九年八月には、太陽系の九つの惑星と月が、地球を中心にして十字型にならぶグランド・グロスと呼ばれる配置になることがわかったからです。
科学的にも、重力のバランスがくずれ、大地震や洪水などの異変が起こる可能性が指摘されています。
 また、「金色の光が天から地に届き……」は、核爆弾破裂の瞬間とすれば、非常にリアルです。
 ”四十年間の異常気象”や”旱ばつ””大洪水”も、その兆候はすでにはっきり認められています。ここ数十年の世界的な異常気象、アフリカの旱ばつをみてください。
科学者が警告するように地球高温化で極地の氷がとけ、海面上昇という大洪水がせまっていることを考えあわせると、予言だからと軽視できない、現実問題になっているのです。



498 名前: 投稿日: 02/11/30 17:02

●一九九八年までに日本は海に沈没する――エドガー・ケイシー
「世界的な地殻変動が起こり、日本の大部分は海に沈む」
(P141)
 こんなぶっそうな予言をしたアメリカ人がいます。一八七七年に、ケンタッキー州の農家に生まれたエドガー・ケイシーです。
 ケイシーの予言方法は、いっぷう変わっていました。眠りながらいろいろなことを話し、それを筆記させるのです。リーディングと呼ばれるこの方法で、ケイシーはじつにさまざまなことを告げています。
とくに、病気の治療法について示した医療リーディングはすばらしい効果をあらわし、驚異的な治癒率をみせたことで有名です。それらはケイシー療法といわれ、現在も多くの医療機関がそれを採用しています。
 そのエドガー・ケイシーが、世界的な大地殻変動を予告しているのですから、心配するなというほうがムリでしょう。
 ケイシーによれば、地殻変動の始まりは、地中海のエトナ地域にあらわれることになっています。それで思い出すのは、シシリー島にあるエトナ山の一九六〇年の大爆発です。その後は、世界各地で地震や火山爆発があいついでいることはご承知のとおりです。
 ケイシーの予言では、日本の沈没は一九九八年までに起こります。しかし、それで異変が終わるわけではありません。
(P142)

さらに大きな破局が一九九九年から二〇〇一年の間にやってきます。地球の地軸移動です。そのために、世界の気候は激変し、火山の活動もいっそう激しさを増すことになるのです。食糧生産は壊滅的に打撃をうけ、人類はこれまで積みあげてきた豊かさをいっきに失うでしょう。
 そして、ケイシーは次のように言います。「極の移動が生じるときに、新しいサイクルがはじまる」
 ここに述べられた新しいサイクル、新秩序とは何か。霊を中心とした新しい文明秩序の誕生以外にありません。



499 名前: 投稿日: 02/11/30 17:03

●一九九九年核戦争が人類を襲う―――ジーン・ディクソン
 現代の政治を動かす指導者たちが、予言者にアドバイスを求める。科学の時代にそんなことがあるはずないと、多くの人が考えます。
しかし実際には、重大な政策や戦略の決定にあたり、予言者の意見に耳をかたむける政治家はたくさんいます。歴史の大きなながれは人間の意思で動くものではないことを、かれらはよく承知しているのです。
(P143)
 第二次大戦中、ホワイト・ハウスに招かれ、ときの大統領ルーズベルトにアドバイスしたのがジーン・ディクソンでした。
彼女を一躍有名にしたのは、ケネディ大統領暗殺の予言です。十三年もまえに行った予言で、時期や犯人オズワルドの名前までほぼ正確に言いあてているのです。
そのほか、キング牧師やロバート・ケネディの暗殺、ウォーターゲート事件などをことごとく的中させ、ノストラダムス、ケイシーとともに世界の三大予言者と評される当代きっての予言者です。
 彼女も、人類の未来について不気味な予言をしています。
 超大国による全面戦争が始まる。核兵器が使用され、人類は生存の危機にさらされるだろう、というものです。
 東欧の民主化やソ連のペレストロイカで、一般には平和と協調の時代が到来したかのように思われています。しかし実際は、共産圏と自由圏のバランスがくずれた結果、戦争はかえって起こりやすくなっているのです。
事実、イラクのクウェート侵攻で始まった湾岸戦争問題のように世界戦争に発展する可能性をかかえた紛争が、さっそく起きています。
(P144)
 ディクソンは、核兵器の使用を一九九九年ごろと予言しました。またここでも、一九九九年という不吉な年が登場するわけです。
 さらに興味深いのは、地殻変動と地軸のズレ、それによる地震の発生や、気候の大変化という、ケイシーそっくりの予言をしていることです。たんなる偶然の一致ではかたずけられない何かを感じます。



500 名前: 投稿日: 02/11/30 17:06

(P168)
<文明原理の大転換>
 ところで、ノストラダムスの『諸世紀』は、世に言われるほど絶望的な予言ではありません。
 ノストラダムスをわが国に紹介した五島勉氏によれば、予言の終わりの方には、「もし別のものが王国を築いているならば、予言のとおりにならない」という意味の詩句が書かれているといいます。
つまり大予言者は、自分の恐ろしい予言が実現しない場合のことを、ひとスジの光明のように書きこんでいるのです。
 しかし、”別のもの”が何かであるかという肝心な点について、ノストラダムスは口を閉ざしています。
 大予言者が語らなかった、その”別のもの”を、<主の神>は岡田師にはっきり示しました。わかってみれば、とても簡単な引き算だったのです。
(P169)
 この世界は霊的なものと物質的なものによってなりたっています。ところが、いまある文明は、物を中心にした<物質文明>です。それとは違う別のものといえば、霊的なものしかありません。
神の啓示によれば霊を中心とした<霊主文明>――ノストラダムスの言う”別のものが築く王国”という言葉が意味していたのは、まさにそれだったのです。
 五島氏も『諸世紀』を分析したり、聖書を参考にして、その”別のもの”が何かであるかを探っています。そして、当然のことながら、<主の神>が示した答と非常に近い結論に到達しています。
 ノストラダムスの予言がはずれるための条件として、五島氏はいくつかの仮説をあげています。(1)恐怖の大王をこえる科学の出現(2)新しい原理をもつ文明の出現(3)あたらしい救世主の出現(4)欧米思想ではない思想の普及。
 いずれも、ポイントをついたすぐれた説です。けれど、なんだか靴をはいたままの足のウラをかくようなもどかしさを感じます。かんじんなわたしたちのいのち、霊にたいする視点が欠けているのです。


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