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1975年03月13日(木)

神になった岡田良一氏: 教え主様(教えのマスターという意味)として知られる岡田女史は、○○真光の霊的な指導者であり、岡田氏の教えを神の法として支持し、信者は個人的に自分自身のカルマに対して責任があること、どんな種類の災難も個々の信者の心の状態や教えの実践の不足が原因であると強調している。

何年もかけて、岡田女史は莫大な費用をかけていくつかのモニュメントを建設し、彼女自身も自分を神の地位に引き上げた。つまり、最高の神と直接コミュニケーションできる唯一の人ということであり、「神は私に何々をしなさいと命じました...」という言い方をする。神について言及するとき、彼女は岡田氏の呼称も使い、「神と救い主様(聖なる救済者という意味)は....」という言い方をして、岡田良一氏が今は神となっていて人類を救う使命を持っているという信者の信念を繰り返し強めている。興味深いことに、彼女が彼のための神殿(43メートルの高さのピラミッド)を1992年に日本に建設したあと特に、岡田良一氏を見たとか彼が現れたとかいう体験談が、熱狂的に報告され事実として受け入れられている。

神になりつつある岡田女史: このカルト教団は今絶好調であり、内部での宣伝だけでなく外部の人をひきつけるために、その信憑性を強める目的で今だに神話を作りつづけ、非常に多くの信者の体験談を出版しつづけている。岡田女史は、1993年にイスラエルへ旅行し、ハルマゲドンを食い止めたと主張している。彼女が中東にいる直接の結果として、突然イスラエルとパレスチナ間の平和協定へむけての最初のステップが達成されたという。彼女は、彼女がその最初のステップを成し遂げたのだと主張して、うまく自分のことを宣伝した。しかしながら、その平和へ向けてのチャンスが後になって失われたことについて、信者はあまり深刻に受け止めないらしい。ここにも、もう一つの"Win-win situation"(どちらにころんでも教団のよいようになる状況)がある。

あなたの隣にいる真光: 真光は、静かにゆっくりと、将来にわたって存続するためのインフラストラクチャー(設備)を作りつづけている。オーストラリア首都圏政府から、その拡大計画の助けとなる土地を援助されたことは、教団にとっては強力な後押しである。教団の信者はすでに、この土地はオーストラリア社会のものではなく、日本に住む岡田女史のものであると誇らしげに語っている。

真光の勧誘活動における主要な目標は、社会に影響力のある人を引き入れることである。政治家、医者、裕福なビジネスマン、公務員などは理想的なターゲットである。これらの新しい信者が右翼思想をもっていると大歓迎である。真光は、陸軍中佐であった岡田良一氏と皇室神道から受け継いだ厳格な保守的右翼思想を持っている。

興味深いことには、ベルギー政府が教団を危険だと認定したときに、オーストラリア政府は教団の後押しをしている。オーストラリア首都圏政府にとって、ヨーロッパで何が起こっているのかに注意することは、自殺行為だとでもいうのだろうか? 臆病な政府を告訴してオーストラリア人の健康と安全のために働かせるようにするには、もっと多くの人々が死にかけていないとだめだとでもいうのだろうか?

ベルギーが道を開いた: 宗教団体を調査するベルギー政府委員会に最近報告されたところによると、○○真光の幹部は、彼らの団体はS界真光文明教団と呼ばれていたが1978年に○○真光に名前を変えたと主張しているという。委員会は、○○真光をSahaya Yoga, 統一教会、創価学会、サイエントロジーなどと同じカテゴリーに入れ、ベルギーにおけるもっとも危険な団体の一つと指定した。危険な団体を確認したことにより、ベルギー政府は現在の法律を国会で議論し、元信者たちのリハビリをしたり、団体の危険性を公表したりするための手続きを進めている。オーストラリアのニューサウスウエールズの立法審議会のメンバー、The Hon. Franca Arena、はオーストラリアの人々に情報を公開してカルト教団から守る必要があると見て、(ベルギーと)同じような国会委員会をつくることに向けて動いているところである。

社会福祉団体としての真光: 教団にある微妙な矛盾の一つに、数カ国で非課税の地位を得るために「慈善団体」という言葉とその一般的な意味を利用しているということがある。岡田氏の教えの中で明らかなように、彼は慈善活動のことを人類の苦難を永続させてしまうものと考えていた。もしある人がつらい状況にあってそれに対して援助がなされたならば、その援助はその人のカルマの解消と清浄化を妨げることになり、実際には不親切をしているのだという。さらに悪いことには、援助をうけている人は「悪いカルマ」を積み上げているという。だから、われわれより恵まれない人々を助ける活動をしている今日の世界中の人道主義団体は、実際には人類を霊的に汚しているのだと岡田氏は言う。○○真光の免税された資金は、一セントも社会には還元されない。それなのに、その指導者たちには高額の給料を支払う十分な資金的余裕があるのである。

一方、お金と時間と労力を岡田氏の教団、真光、に捧げることは、本当の意味での慈善活動なのだという。彼の「唯一最高の宗教」が広がるにつれ、より多くの人々が「光」を受けられるようになり、霊的に救われるという。この方が、戦争によってズタズタになった国々で飢えに苦しむ罪のない子供たちに食料を与えたり、われわれの社会の片隅にいる恵まれない人々を助けることよりも、ずっと良いことなのだという。このような実際的な形の援助は、彼の教えの中では非難の対象となっている。

真光の信者は、このような領域においては岡田氏の教えの厳しさから逃れることはできない。もし信者がつらい状況に陥ると、それは信者自身のせいであり、霊的なレベルが低いとか、教えに従っていないとか、罪と穢れを消すようにと神に祝福されているのだ、とされる。教団は、その苦しみをやわらげるように具体的な形で手を差し伸べることはせず、うれしそうにアドバイスをする。霊的な障害を取り除くため(悪魔払いのため)手をかざして「もっと光を与えなさい。」 そして「もっと道場に来なさい」と。真光の言葉では、光を与えることが最高の形の利他愛なのである。

信者の中では、日本にある真光の本部に各地域の拠点への財政的支援を期待することは、岡田女史と神からお金を盗むことに等しいと考えられている。地域の信者は彼ら自身が費用を負担しなければならない。子供を含めて信者たちは自分たちに対しては節約し、真光の神に対しては惜しみなくお金を払うことを奨励されている。真光にとっては、教団外での経済援助活動を考えることだけでも、全く受け入れがたいことである。


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