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1975年03月12日(水)

待遇の良い真光幹部: このような偽の人道主義的意味でなされる献金は、○○真光の幹部に還元される。特に、○○真光オーストラリア(有限会社)の幹部たちにである。住居、ベビーシッター、食事、国外国内の移動などが無料でまかなわれ、そして贈り物をもらっている。(ある人は誰がlocal Perks 税を払っているのかいぶかしがっている) 信者は、幹部は給料が安いという印象をもっており、幹部は人生を神に捧げているのだから、彼らを助けるのは正しいことだと考えている。このような信者の幹部に対する気前のよさは、異常なほどであり、時として幹部がそれを尊大にも期待してしまったりする。

岡田氏は教える。「川上を清めれば川下も清まる。」オーストラリアでは、これは次のように解釈されている。普通の信者は、もし幹部を助けたり援助したりすれば、自分たちもより霊的に清まる。もし信者が幹部に仕えれば、幹部は神のための神聖な仕事をより多くできるようになり、それは幹部をより清まらせる。もし幹部がより清まれば、幹部は川上なのだからその恩恵は普通の信者にも行き渡る。だからみんなが霊的に向上する。より高い位の幹部に仕えることは、神への奉仕と呼ばれる。それは、真光の教えを説く講師になったり、真光にフルタイムで雇われるためのトレーニングを受けることを許可される(「許される」)ための資格を得る際の必要条件になっている。多くの信者は、世間知らずかもともと気前がいいため、その言葉どおりに従ってしまうのである。

真光と免税: 真光が行っている最も大きなごまかし行為の一つは、課税を免れていることである。○○真光は、社会が行っている人道主義的な意味での慈善活動からの恩恵を受けることを拒否しない。この種の形の慈善活動は、岡田氏の教えの中で完全に否定されているにもかかわらずである。このような場合、すべてのお金は神のものと言って、教団は矛盾を全く認めない。真光は神の唯一の正しい宗教なのだから、教団に利益をもたらす仕組みは、どんなものでも受け入れるのである。真光はこれを「神の仕組み」と呼ぶ。

次の文章は、岡田良一氏の言葉をアラートン夫妻が日本語から英語へ翻訳したものである。(1997年5月5日)
(注:英語版を日本語へ翻訳しなおしました。)


慈善活動とはどうあるべきか
寸教3、p.82-83

病気の人を救うために病院を建てること、そのためにお金を集めること...これらは薬によって汚染された患者の数を増やすだけです。それらは慈善活動とは言えません。私はそれらを偽の慈善活動と呼びます。それは罪と穢れを蓄積するだけです。「慈善活動」とは、人間から病気と貧困を取り除く行いのことであり、この地上に真の平和で安全な文明を実現することです。
天国文明を広める目的においては、現代において常識と考えられている間違いを正すことも「慈善」活動です。そのような活動により多くのお金を差し出すこと...これも慈善活動です。現代は偽の慈善活動が氾濫しており、世界はますます悪くなっていきます。
このような理由から私は、それだけになおさらなのですが、偽の慈善活動に一生懸命な人に対して望むことは、真の慈善活動に目覚め、貧困と病気に苦しみ心の平安を得られない人々を真の救済へと導くことに目覚めて欲しいということです。

もしある人が1億円を(真光に)寄付したとします。
それがどれほど救いの和をひろげるか想像してみてください。
それこそが偉大な救いではないでしょうか? 私はそれを「慈善活動」と呼びます。

<翻訳前の寸教>

寸教(崇教)H2.9初版 P224-226
[73]慈善事業とは

病人を救うために、病院を建てる。そのために寄付を集める----薬毒患者を多くつくるだけであり、慈善どころか罪業を積んでいく偽善事業であろう。
「慈善事業」とは、人類を無病化脱貧させて、真に平和で安泰な文明を、この世に顕現させていくために為すことである。
天国文明を拡めるために、現在一般常識とされている事でも、その間違いをハッキリ正していく事業、これも「慈善」である。
そういう事業のために、どんどんお金を出すこと、これも慈善事業なのだ。
今は、偽善事業が氾濫しすぎて、ますます世の中が悪化している。そのためにも、偽善事業に精を出している方に、早く本当の慈善に目覚めていただき、貧にあえぎ、病に苦しみ、やすらぎのない人々を真からのお救いに入れてあげてほしいものである。
仮にそうした意味で、ここに一億円を寄付された方がいるとする。それが元となって、どれだけ救いの輪が拡がることだろうか。
たいへんな救いになりはしないだろうか。これを「慈善事業」というのである。



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