2001年03月10日(土) |
Let me see. |
俺は、後ろ向きな人よりは前向きな人が好きで、
泣いてる人よりは笑ってる人が好きで、
意地悪な人よりは優しい人が好きで、
まわりくどい人よりは素直な人が好きだ。
それは、どちらが正しいとかいうようなものではないだろう。 たぶん、理由なんてなく、そう思うから、だ。
いや、もしかしたら深層意識やDNAの深いところに、その理由は隠れているのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。 少なくとも俺は、そんなことを研究する学者ではなく、ただの子供だから。
ところで、世の中には、体の不自由な人が大勢いる。
こんなことを言うと、最近の風潮からして、 人権を尊重していないとかなんとか言われそうだが、 俺は、理由がないかぎり、そういった人たちと「ボランティア」として、 関わりあうのは、偽善であるような気がする。
というより、障害者を一個人として自分と対等に見ていれば、 そのような付き合い方は、できないはずだと思う。
だいたい、障害者を、「ハンディキャップを負った人々」として、 ひとくくりにするのが、どうかと思う。 障害者、と俺が今使っている言葉すら、完全にひとくくりとして、見ている。
それに俺は、まったく見ず知らずのひとに、ハイ私が世話します、 なんて言われても、ふつう、ハイよろしく、なんていえない。
障害、とはいったいなんだ。 体や心がふつうと違っていたら、それが障害?
じゃあ、ふつう、ってなんなわけ。 一般的な人間、って、誰だ。 プラトン的に言えば、「人のイデア」か?じゃあそれ見せてみろ。
そんなん、ないでしょ、たぶん。俺は見たことねーよ。
もし、「ふつうの人間」がいたとして、それと異なっている人を、 障害者と呼ぶのなら、みんな障害者だろ。 つまり「ふつう」を「正しい」としているわけだ。
「あれ、『ふつう』ならこんなとこにホクロないんだよ、かわいそー障害者だあ」 「あ、『ふつう』より身長0.5センチもひくいね、お気の毒に」
ってな具合にならんか? 今の状況は、これをかなり薄くしただけで、成分は変わらない。 自分、または自分が正しいと信じているものから、はみ出しているものを 異端と感じ、「憐れむ」。
自分は彼よりは「正しい」「正常だ」。そう思っているのか?
豚から見たら、どれもおなじ、「天敵」だな。
宇宙からみれば、俺もあなたも、塵です。
塵をいちいち区別するなんて、くだらないことだと思わないか? 全部平等に、ちりとりに入れてあげよう。
とはいえ、俺は、少なくとも今は塵ではなく、多分人間だ。 でも、みんな等しく塵であると思えば、少しは楽になれる、そんな気がする。
つまらない、無意味な要素を省いて、純粋に「好きか嫌いか」。
それだけでいい、と、思えるから。
「お、コレは面白い形の塵だな」
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