■移「席」を考える/「普通の子」■
本日、本業とは関係のないことでヘトヘト(院日誌を参照されたい)。
院生室のうるささは、もはや手の施しようがないと悟る。こういう部屋の管理は、院生会なる組織が統括しているらしいが、そちらの答えは「国際交流だから」というお粗末なもの。国際交流のために、院生室の静寂が打ち破られても構わないということか。じゃあ、なんで、別個にラウンジなる空間が設けられているんだ。その線引きをしてくれないと困る。
で、いくつか他の院生室を巡ってみると、静かな部屋を発見。そこに移ろうかと考え中。手続きとして何か必要なのか、空いていれば、自由に移動してよいものか、調べる必要があるが、夏休み中に何とか移動したいものだ。それにしても、なるべく静かにすべき場所で、大声であーだこーだと話し合える、あの無神経さは理解しかねる。
□■□ 帰宅後、長崎の幼児誘拐・殺害事件で、犯人が捕まったことを知る。12歳の中学生だと、ニュースは大騒ぎ。ここぞとばかりに、サカキバラ事件やら、ここ最近の少年犯罪を洗いざらいに取り上げ、専門家のご意見まで伺って、「低年齢化」だの「凶悪化」だのと不安を煽るようなことだけを言っている。「事件に大きいも小さいもない」という、『踊る大走査線』の中のセリフが思い起こされる。
それから、その少年のことで、「普通の中学生/12歳」などと言われているけど、何をもって、「普通」と言っているのだろう。特に、問題行動が無ければ、それで普通の子なんだろうか。正確な情報ではないが、友人が少なかったらしいので、その時点で、いわゆる「普通」とは言い難いのではなかろうか。本人にも、いろいろ思い悩むところがあったのかもしれないし、そういうことを考えれば、「普通の子」なんてのは、適切ではない。報道側からすると、その「普通の子」の凶悪ぶりを捲くし立てたいだけなんだろうけど。
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