■人は常に最善策を選んでいる■
金曜日は、朝9時から夕方4時半までずっと授業。その後は、5時から9時までバイト。自分が、そうしようと思い、決めたのだから、この日程についてウダウダ言うことはもうしない。ただ、授業数は毎年減っているのに、疲れは年々増しているような気がする…。授業がハードさを増したせいなのか、オレが歳取って体力が減ったせいなのか、一体どっちなんやろか…?
そんな金曜日だが、この曜日には基本的に友人とは会わない。最近では、こちらから会う気もないし、むしろ会わないで頂きたい。「なんとまあヒドイことを書くなぁ」と自分でも思うが、そう思うんだから仕方ない。一番の理由は、金曜日が、イライラの最高潮に達していることの多い曜日であり、周りにとばっちりを食らわせたりしたくないという思いがあるから。実際、機嫌が悪かったりすると、ただでさえ低いテンションが、より一層低くなり、無愛想の極みに至ってしまう。これが、周りの人に、少々不快な思いをさせていることもあるようだ。それでも、今日はG氏と昼食を共にした。あれこれグチって申し訳ない。
んで、なぜイライラが最高潮に達するのかといいますと、やっぱりバイトが大きく関連している。毎日、オレの目の前で「間違い」が横行しているのだ。その辺については、以前の日記でも細かく書いたが、そんな振る舞いが当たり前であるかのように続いている。パソコンを使って作る課題が出ている時以外は、確かに、暇な時間が多い。自分自身も、ただ座っているだけでは面白くないので、ネットサーフィンをしたり宿題をしたりしている。決して良い勤務態度とは言えないが、それでも、依頼者が来れば、出来るだけのことはするし、中途半端なことはしてないつもりだ。時には、返答に困る質問もある。そういう自分でも分からない問題が出てきても、まずその人に謝って、その後すぐさま調べて、少し遅くなっても解明が出来れば報告するようにしている。基本的な仕事は「困っている人を支援する」ことであり、その意味では、常に最高のパフォーマンスを発揮できるように精進しております。
「間違い」が横行しているなら、「正せ」ば良いと考えるのは、極めて当然のことだ。それでも、世の中、不条理なことばかりがまかり通るものであって、そう簡単には正すことは出来ない。別に、「不条理な世の中だから、正す事なんて諦めてます」と言いたいのではない。正したくても正せないのは、「状況」や「影響」を考えた上での結果なのだ。「状況」とは、上司に訴えたいところだが、その上司もまた、それで悩んでいるってコト。これでは、進言などできない。「影響」とは、そういう対立が原因で、生徒にとって、事務所が疎遠で、近づきがたい存在になってしまうってコト。大声での口喧嘩になること必至やからね。これらのことを考えると、オレとしては、心の中に抱え込んで我慢するしかないワケです。
それでもなぜ、気の短いオレが辞めることなく、続けていられるのか?それは、やはりお金が手に入るからだ。不純でも何でもない動機だ。お金をもらって雇われているのであり、サービスを提供する側なのだから、困ってる生徒に対してできる限りのことをしてやるのが仕事だ。別に好きでやってるわけではない。お金をもらっているから、そこに「サービスを提供する」という責任が生じ、バイトをしているわけで、「お金のために"渋々"やっている」といってもハズレではなかろう。
「そんな事を言うならやめてしまえ」と言う人もいるし、そんな状況下にいれば、あっさりと辞めてしまう人もいる。しかしながら、仕事なんてそんなに楽しいものでもないだろうし、皆、お金のため・生活のために我慢しながら仕事している場合が、ほとんどではなかろうかと思う。もっとも、父のように朝から晩まで働き詰めたことはないが。今のバイトの同僚に嫌気がさし、吐き気がして、腹を立て、キレそうになりながらも、ナンダカンダで続けているのは、やはり「続ける事・働くという事が"最善"だ」と自分の中で思っているから何でしょう。
大学では、数多くの講義があれど、「オモロイ!」と興味をそそられるような授業に当たる確率は、かなり低い。それと全く同じにしてはいけないんだろうが、仕事だって、そんなに面白くって仕方なくて好きでやれる仕事に就ける確率もまた、かなり低いんぢゃないでしょうかね。勉強を勉強と思ってる内は、苦痛でしかないのと同じように、仕事を仕事と思ってる内は、シンドイだけなんやろな。ちなみに、オレの父は、自分の仕事(勤続20年超・製造業)について、「仕事なんて、面白くも何ともない。銭を稼ぐのは大変だってコトだけが分かる」としか言わない。
一体、自分はどこまで保つのかねぇ…。
何が言いたくて、何が論点なのかワカラン文章やなぁ…。まあ、今に始まったコトじゃないか…。
このまま、缶ビールを飲み干して、寝ることに致します。
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