■停滞期に突入しそうな予感、なのに読書論■
本日、ADSLを申し込もうとNTTに電話した。ところが、全くつながりゃしない。京都市内なんだし、何度かかければあっさりつながるかと思ったが、みんな考えることは同じのようで、さっぱりダメ。今日は諦めて、また後日に挑戦することにしたい。それか、窓口に直接申し込みしに行こうかな…。
□□□□□ 日記だけを読んでみれば、量もそこそこだし、バカ話ばっかりだし、特に問題無し(ある意味問題!?)な感じがするが、ここのところ物思いに耽ることが多く、気分が沈んでいくばっかりだ。最近、テンションが異常に上がってたし、このヘコみはその反動かもしれんなぁ。まあ、頭が冷やせて、それはそれでOKです。
今回のヘコみは、去年襲われたような原因不明のヘコみではなく、思い当たる節が2つほどある。ここに書くと、ダラダラの愚痴日記になっちゃうし、人目に晒すにはどうかとも思うし、公表はしないが、考えれば考えるほど沈んでいく…。
何とも自分勝手だとは思いながらも、今日のようにヘコみ始めると、あまり人と接したくはないので、接することにつながりそうなものは、排除しております。したがいまして、携帯のようなものは電源を入れず、現在、本の中にでも埋もれていることでしょう。それにしても、どこに置いたんだっけな…。もし、「メールを送ったのに返事がない!」と憤慨された方がおられたら、この場で謝っておきます。ごめんなさい、自分勝手で。
考えれば考えるほどヘコむわけですから、とにかくマイナスな考えしか出てこんのです。しかしながら、この状態を、そんなに悲観的にはとらえてない。なぜかと問われたならば、そりゃ、「本物のプラス思考は、究極のマイナス思考から」って言葉を信じてるからであります。「悲しみ」無くして「喜び」は無いわけやし、「不安」無くして「安心」は無いわけですよ。ま、当たり前やな。
さっきの言葉、五木寛之氏の著書「他力」(講談社)にあるもので、オレのような文字嫌いな人間でもすんなり読めちゃう。その本に書かれてることは、もっと奥が深くて、オレ流に解釈しちゃってるんだけど、まあ、筆者の言うことからそんなにズレてもないかなと思うんだが、どうなんやろ…?う〜ん……。でもまあ、ヘコむことで、また何かしらエエことが起こると思えるんですわ。だから、ヘコむことを、そんなに悲観的にはとらえてないと書いたわけです。
話が逸れちゃうが、オレの読む本は、ホンマに偏ってる。一番読むのは、エッセイ。その次は、論説文とか評論文とかいった、一般書・学術書を読む。小説は、もうダメ。気が短いので、読んでられない。なんでエッセイかと言うと、「本と対話できる」から。エッセイって、基本的に筆者の言いたいことがストレートに綴られてるもんだから、「〜と思う」とか書かれてると、「あぁ、そうやなぁ、オレもそう思うわ」とか「そりゃ、ちょっと賛成できひんな」ってな感じで、本とお話ができるわけです。
読書が楽しいって思える時ってのは、やっぱ「対話できてる」と感じた時だと思うんだよねぇ。喫茶店で2人で話してる時に、一方的に言われ続けるのってイヤだし、そもそも話になってないでしょ?やっぱり、お互いが語り合うから話も楽しいわけで、読書も同様に、「対話」してないとおもしろくも何ともないと思うわけです。そういう点では、小説なんかは、対話しづらい。っていうか、オレは対話できんと思うんやけどね。だから、ほとんど小説は読みません。
それにしても、読書からちょいと遠ざかると、読むスピードが極端に遅くなって、ペースもなかなか上がらず、しかも理解するのに時間がかかりすぎる。本の内容にもよるんだが、それにしても、ヒドすぎる…。とにかく、量をこなして、人並みにキチンと読めるようにしなければと思う今日この頃です。
あぁ、気分は下降する一方…。明日、大学の友人と飯を食いにいく予定だが、そこで愚痴っちゃたらごめんなさい。先に謝っときます。
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