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人とテキスト
2004年09月24日(金)

本を読んでいると、ああ、これを書いた人がいるのだろうな、と思うけれど、私とは無関係の人だ。
テキストがすべてなので、テキストでだけでこの人と関わりたい、と思う。

そして、身近な人は、とにかく大事に、というのを思う。
好きな人の文章なんて、本とはまた別の、格別の味がある。

文章というのは書いた人がいる、というのを思うと、その人と品のあるつき合いをしたい、と感じる。

仲の良い人の文章は面白い。知らない人でも、責任もって書いてある文章はほんとうにためになる。

ただ、無責任に放り出されてる文章だけは、読む気がしない。
無記名で文章を書く人って、かわいそうな感じがする。
私は、こういう日記書いていても責任持って書いている。
でも、文責について考えられない人もいるんだろうなあ、と。

たとえば、無記名で書くようなBBSなどは、私は絶対に見ない。ばかばかしいから。

名前出して責任持って書いてある文章か、親しい人の文章以外はまったく読む気がしない。

こういう日記を書いていて思うのが、いくら私と親しくて私のことが好きな人が読んでくれても、私が考えて書いたことが伝わるのは4割くらいだなってこと(ネットという性質かもしれないけれど、6割くらいは読んでくれた人が考えたことっぽい気がする)。「読んだよ」って喋ってくれるとき、あれ?私は違うつもりで書いてたなー、って思うことがよくある。私の文章力のなさもあるだろうし、あとは書かないこと(ネットだから)もあるから実際のことは違う風になってるということもあるだろうけど。
でも「こういうこと書いてたよね」と言われたときはたいてい、「うんうん」と返事している。ああ、この人はそういう風に受け取ったんだな、って思うだけだ。説明したりはしない。
もし書いたことで誰かを傷つけたら、一生懸命あやまる(未熟なのでそういうことたぶんよくある)。
どう受け取るかは受け取る側の自由、でも責任は書いた側にある。

そういうこと、よく考えなきゃって思う。

レストランでは、おいしい料理を出すことよりも、客の健康を守ることが第一であるのと同じように、
文章も、面白いことよりも、相手を傷つけないことが第一だ(体よりも痛かったりするだろうし)。

こういうちっちゃいホームページでもいろいろ気をつけたり、考えたりしなきゃなー、と思う。これしかやってないから、あんまりインターネットのことがわかってないところもある。
あと、友達のことは大事にしないとなー、というのと、もう会わない人でもあたたかく見守らないとなー、と思う。
みんな幸せになるといいなー(ってこれ一番、無責任な文章だ)。




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