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[2005年11月22日(火)] 夢一夜




 桜が舞っていた。

 ひらひらと風が吹くたびに散る桜の花びらが舞う様は、雪の降る仕草に似ていて、私は飽きもせずにじっとそれに魅入っていた。

 花びらの行く末全てを見納めようとするがうまく行かず、ならばと桜の木全体を眺めようと思ったが、端々で踊る花びらが気になってしょうがない。

 どうしたものかと腕を組んで考え込むが、桜を見ているうちにどうでもいいことのように思えてきた。

「そんなに桜に気をとられていると、奪われてしまいますよ」

 ふいに女の声が聞こえた。

 声のほうを見るといつの間に現れたのか、桜の木の根元に一人の女がこちらに背を向けて立っていた。

 美しい女だと一目でわかった。こちらを向いているわけではない。だが、芍薬のような凛とした佇まいも、桔梗のようににすっと伸ばされた背筋も、闇に透かしてもなお黒い色合いをした、桜とともに揺れる腰までもある髪も、すべてが女の美しさを肯定していた。

「こんばんは」

 後ろを向いたまま女がこちらに声を掛けた。背を向けたままだというのに、女の声は耳元で話しかけられているかのように聞こえる。鈴を転がすような澄んだ声に、私はやはり美人だなと感心する。

「こんばんは。いい夜だね」

 私は、女の後ろ姿と桜を交互に見比べながら挨拶を返す。

「何を奪われるんだい?」

 ふと気になったことを尋ねてみることにした。

「眼(まなこ)を。躯(からだ)を。命を。そして、思いを」

「心は既に、奪われてしまっているよ」

 まぁ、と女は口元に手を当て、朗らかに笑う。まるで花と咲くように。

 それっきり会話はなく、ただ静々(しずしず)と花の雪が降り積もる。

「私は、桜に生まれとうございました」

 しじまを破ったのは女の声だった。。

「桜に? 咲けば枯れるが運命(さだめ)のものにかい?」

 私の疑問に、女は笑う。

「咲けば枯れるは、この世全ての理(ことわり)にございます。盛者必衰、栄枯盛衰、栄えたものが滅びぬ例(ためし)がございません。そして、それは女も同じことにございます」

 女も、と私が問うと、はい、と女が答えた。

「女も盛(さか)りを過ぎれば後は枯れるのみ。若さもいつまでも続きはしません。やがて私も醜く老いてしまう」

 私は女が老婆になったさまを想像しようとした。しかし僅かばかりの、桜の木より別(わか)たれた花弁が地面に降りるまでの刹那を経て、首を横に振る。美しい女の醜くなる様、というものが思い浮かばなかったのだ。

「しかし桜とて、やがては枯れる」

「ですが、春が訪れれば再び咲き誇りましょう」

 そうか、としか最早答えようがなかった。ただ哀しかった。訳も分からず、理由すら見つからず、それでも私の桜に奪われてしまった心は哀しいと言っていた。

 びゅう、と風が強く吹く。桜の花びらが私を覆い尽くそうと一斉に散る。

 女がこちらを振り返るのが気配で分かる。しかし、桜の壁が邪魔をして見ることが叶わない。

「知っておられますか? 根元に女の死体が埋まっているから桜はこんなにも綺麗な花をつけるのだと」

「ああ、坂口安吾だったか」

 花の吹雪がぴたりと止む。

「ならばこの木の下には、いったい誰が埋まっているのでしょうね」

 私であればよかったのに。そう言って笑っていたのは、確かに私の妻であった。



 妻が死んだ、と知らされたのは私が起きてまもなくだった。投薬自殺であったらしい。

 とても安らかな死に顔だった。夢で見たあの笑顔のように。



 葬儀の後、私は近所の公園に来ていた。夢で妻と一緒に見たものほど大きなものではないが、桜の木がある公園だ。

「遺体を埋めるわけにはいかないが」

 そう断って、私は懐から一房の髪の毛を取り出した。妻の遺髪だ。

 ほんの少しほど地面を掘り起こして、そっと髪の毛を埋める。

「また、会えるかな?」

 私は木の幹に手を当てて、そう桜の木に尋ねた。

 ――春になれば、必ず。

 そんな妻の囁きが聞こえた気がした。















 なんか今一なんでそのうち書き直します。
 「天井裏」のほうは今日はお休み。……明日も書くかどうか微妙ですが(爆





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