Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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『彼らは、芸術家志望者、売れない芸術家、社会的な落伍者を中心にしたグループである。何時から何時まできちんと勤めて、ということのできない人たちと見ていい。ドボールについていえば、職業は映像作家ということになっているけれども、手元にある彼の作品目録を眺めてみても、生涯を通じてさえフィルム作品はそう多くはないし、著作にしても本というよりはパンフレットが大部分である。それで生活できたとはとても思えないし、事実、あるブルジョア女性の庇護の下にあった、と伝えられる。しかもアルコール中毒者だった。そのせいか、一九九四年に六十三歳で自殺しているのだが、そうした彼の、働いてもいない、働けもしない、寄生的な現実を知ってみると、労働力以外に売るもののない、誰かに頼ることもできないものにとっては、決して働くなといわれてみても、一昨日来い、ということになる。』P182 『パリ68年5月 叛逆と祝祭の日々』
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