Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2018年08月21日(火) |
今週の日曜は1ヵ月遅れのタダマス30です |
まさのりの「ま」、ますこの「ま」、
タダマス30 益子博之×多田雅範=四谷音盤茶会 Vol.30
記事『カマシ・ワシントンからMeTooまで、アメリカにおける21世紀ジャズ評論の革命』 ■
ネイト・チネン著『Playing Changes: Jazz for the New Century』というのが出版されたという、柳楽光隆『Jazz The New Chapter』に遅れること4年という印象だな、
おれはモチアンとプーが隠れて以降は、タイションやメアリー、スレッギル、トーマス・モーガン、蓮見令麻、フリン、バーデンホルスト、テイボーン、とか、
”ヒップホップやR&B、そしてエレクトロニカの要素を持ち込む”方面とか、西海岸サイケデリックスピリチュアル方面とか、着せ替え人形は退屈すぎる、2015年に牧野直也はヒップホップはすでに終焉の時期を迎えているのではないかと記しているが、
手法、技法、アイデアは即座に終焉を刻むのは、資源が尽きるというよりも、フォームに回収されてしまうというか、制度の価値体系に喰い尽くされるというか、
田中宗一郎のプレイリストを聴いたら、どれも同じに聴こえた、ロックは消滅している、というか、退屈だぜ、
単にこっちがジジイになってしまって、どこを見渡しても未踏は無いではないか!と怒り、もう音楽なんて聴きたくねえんだよ!と引退する気まんまんで居るんだが、
まだ、あるんだな、差し当たり”謎”というマジックワードで乗り切っているけれど、こないだ友人宅で聴いた手作りギターソロとか、地歌・筝曲とか、
”なぜか今回も前半は女性ヴォーカル特集。後半は鍵盤奏者複数参加盤特集となっております。”(益子博之)、特集になるのってどうなのよ、タダマス30、
と思ったんだが、2018年の第二四半期に入手した新譜音源からこれはとセレクトしたトラックを並べてみたら、結果、”女性ヴォーカル”と”鍵盤奏者複数参加盤”と括れることに気付いたと言うべきだったのだ、むしろ様相が異なるトラックを括りの振幅幅にあって発見が促されるというような、
予習打ち合わせ試聴をしてみて、これは面白い現象だと思った、現代ジャズのリアルを伝えているトラックたちだ、喫茶茶会記のスピーカーでどのように聴こえるものか、わくわくしている、
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