Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
DiaryINDEX|past|will
2018年01月25日(木) |
タダマスは1月28日に28回目を迎える |
福島恵一さん(音楽批評)から、イベントの紹介投稿をいただく、
タダマスは1月28日に28回目を迎える " TADA-MASU " will mark the 28th on 28th January. ■
タダマス(益子博之+多田雅範)、7年、これだけ性格も耳の特性も女性の好みもチガウ二人が一度も仲違いせずに、耳の経歴も愛聴曲もチガウ二人が、こと現代ジャズに関しては”ほぼ一致した見解に”到達し続けていて、それが世界のメディアやジャーナリズムとほぼ同じ風景となっていることは、「亀戸ホルモンたべてえなあ」「月光茶房いつ行こうか」とだらだらしている不良中年二人のユルさからは想像もできないくらい、すごいことなのではないのか、
と書いてみたりする、打ち合わせで益子さんちで新譜チェックをしていると、ああこの人は音楽の神さまに選ばれているなと思う、畏怖さえ感じることがある、つまりはタダマス四谷音盤茶会とは益子セレクトそのものが批評なのだ、どうやって知ったの、どうしてこの曲なの、これは何の音なの、矢継ぎ早に質問をしてはオレは手にしていない耳の着眼点を探ってゆく、
それはそうと、
「集まって聴く、と、音楽は様相を変える、のは、スピーカーや空間特性のせいだけじゃないだろう」(多田雅範)。 ”それは人目を気にするとか、「同調圧力」などとは異なる。他の者が同じ対象を注視していると肌で感じながら聴くことにより、音の出し手と受け手の1対1幻想が崩れ、対象への自分勝手な自己投影が成立しなくなる。聴取はナルシスティックに自己完結せず、不安定に移ろいながら開かれることとなる(映画館がなぜ今でも館内を暗くし続けているのか考えてみよう)。”(福島恵一)
オレの武器は「1対1幻想」に属する比率がべらぼうに高いところ、何たって音楽は人格だからね、その、独りで聴いている感想、が、タダマス会場では一瞬にして消失してしまい、まるで初めて聴いたかのような体験に晒されているような感覚になって、何かを口走っているようなのだ、ワタシはそのワタシを後方から眺めているに過ぎない、ってカンジ、
映画館、かあ、示唆的だなあ、
亡きミサオママから「思ったことはすぐに言わないとあとで後悔するんだよマサノリ」と、極めて例外的な教育をされたワタシは、やっぱりちょっと変わっているのかなあ、それにしても世の中のひとは「ポジショントーク」しているひとが多いね、課長だ部長だとそれってコスプレに過ぎないのにさ、コスプレのまま寝るなよな、
はじめて三田の綱町三井倶楽部へ、慶応の裏、企業の迎賓館ぶりはさすがだ、
川越街道が雪の影響で首都高5号線が閉鎖されている余波で大渋滞、会長と電車にしましょうと東武東上線ときわ台駅、踏み切りを渡って左側にロータリーが見える、あまたのビルやホテルや駅の車寄せは左側から降車できるように「左寄せ」が鉄則なのだが、なんとこのロータリーは右寄せ(つまり反時計回り)のロータリーだったことだ、そんなロータリーあるんかよ!、
身体が左寄せに吸い込まれるようにハンドルを切るのと、進入禁止の標識を見るのは、ほぼ同時、見ながら入ってしまう5メートル、東京大渋滞、緊急事態なんだチョイト失礼、会長を降ろしてすぐにUターンハンドルさばきも、国家権力の陰謀か、目の前は交番だったりする、
7千円、2点減点、あたたたたた、
|