Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2018年01月05日(金) |
Jazz Tokyo 年間ベスト2017 #12 『Gato Libre / Neko』 |
Jazz Tokyo 年間ベスト2017に掲げた記事を訂正した(なんと作品をオレが勘違いしていた!)、
#12 『Gato Libre / Neko』 ■
藤井郷子五段のガトーリブレでのアコーディオンはアコーディオンなのだが、ピアニストの技能と即興演奏家の感覚が手馴れていないアコーディオンを通して表現へと向かう際に、さらなる大きな自由を手にしている、不思議な話だ、
現代ジャズ潮流のひとつに、オノレの楽器そのものの宿命的な音色を牢獄として捉えてしまうインスピレーションというのか、発端の発議が身体に起こっているのではないだろうか?、それはグローバリズム現代のアイデンティティ問題とも通じている現象で、(と偉そうに大風呂敷だが)、
演奏者のコントロールと出てくるものとの函数が不確定になるほど、演奏者は戸惑い、本能的にコントロール(制御)によってアイデンティティ保持に懸けてしまう、しかし思いがけない途方もない素敵な場所に放り出されてたりして、それは再現できない魔法となる、
そしてその魔法の予測を手に入れて、さらなる大きな魔法の出会いに旅立つことになる、
おれがあまのじゃくなのはそういうことさ、
タダマス聖地巡礼に、平和台から一本で田園調布駅前、駅前の6台の乗用車は2台トヨタ、1台ホンダ、1台ベンツ、2台プジョーなのだ、このエリアはプジョーがデフォルトなのである、
珈琲は淹れるから飲み物はいいよーというので駅前のメゾンカイザー maison kayser でレモンパイだの買い込んで、これが美味いのなんの、知らんかったぜー、
うおー、このサウンドは果たして喫茶茶会記で鳴るのだろうか、いま、どのような聴取が成立するのかという、これまでの批評のパラダイムを更新する時期に来ているのだ、それはリスナーが先行しているのではなく創造的なミュージシャンたちの先行に、閃光に気付けるのかという批評ではないか、
光が丘IMAで履歴書写真をカメラマンに撮ってもらおうと出かけた、途中で息があがって、三分写真が目に入ったので歩きマージャンゲームをしながら帽子を取ったりネクタイを結んだり財布から千円札を出したりお釣りをこぼしたり、バタバタするダスティンホフマンになったような心境だ、
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