Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
DiaryINDEX|past|will
2017年11月18日(土) |
ドキュメンタリー「日本音楽の生と死」(1968) |
”【没20年・生誕88年】日本で初めて電子音楽を作った作曲家 黛敏郎「電子音楽個展」”行ってきました、
朝からの運転手研修会議と同僚と茅場町「たかね」天ザル、遅れて入場、ドキュメンタリー「日本音楽の生と死」(1968)のお終いに間に合う、当時の日本の多彩多様な音楽の同時多発共存の輝かしさに舞い上がる黛敏郎、え?もともとオイラの耳はそのように世界をまなざしているんですけどー!、ケージのミュージサーカスを知る前からそうさ!、と言いたくなるけれど、それだけ戦後のクラシックの文化圧力は動かし難いものがあったのだろうし、その強固なサーキットに深く囚われていた天才黛青年の魂の歓びはストレートに伝わってくるものだ、
黛敏郎を神のようにあがめてはいけない、密教の声明や鐘の音色の妄想すぎるフェチだったんだねー、いやもう傑作涅槃交響曲や曼荼羅交響曲を作ってしまったらあとはやることないよ、もう向こう側まで見えてしまったのだから、見切ってしまったとも言えるかも、
それでおいらは『3つの讃 第1部・第2部(1965)』以外は、爆睡してましたー、新しい職場の疲れがどっと出たの、もあるし、その後のロックやノイズや電子音楽を耳をしてきた耳には瞬殺できるくらいの素朴な動機による展開音響だったとも、
10年くらい前にもこのようなサウンド個展を京都でやっていたらしい、その時には30人ほどの愛好家が新幹線で駆けつけてきたと主催者は話していました、うんうん、10年前の京都で体験するのなら、それはもう天国的、まちがいなく、音楽は場所で鳴る、場所で輝くことはある、
戦後日本の現代音楽、は、時代精神と共闘した、限定的なジャンルだ、今は無いから失われた黄金時代をまぶしそうに見ることしかできない、
|