Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
DiaryINDEX|past|will
2017年05月24日(水) |
渇望の向こうに ― 「タダマス25」レヴュー |
福島さんからタダマス25についてのレビューをいただきました!
渇望の向こうに ― 「タダマス25」レヴュー Beyond Thirsty for Something More− Live Review foe "TADA MASU 25" ■
さらます老人力を発揮する忘却王の多田(わたし55)、少し思い出す、
1 Theo Bleckmann こういう煮え切らないレビューをJazz Tokyoに出していたのだった、→■ タダマスでアーチェリー池田さんが「一時期のメセニーを視ているような制作姿勢が感じられますね」とズバリなところを衝く、そうなのよ!ブレックマンの名刺はできたけれどメセニーマーケット向けにセッティングされているところがイヤなのよね、
2 Craig Taborn Jazz Tokyo レビュー → ■ 「ばっさりと野球中継をしてしまうと、ハマシアン華麗なる三振、テイボーンあわやホームランの2点三塁打、マエストロはレフト上段特大ファール、蓮見消える打球満塁ホームラン、タラス適時ヒット打点1、ミッチェル球速162kmノーヒットノーラン仁王立ち、といったところか、」と書いたところから、なぜ「あわやホームランの2点三塁打」なのかと相棒益子博之に突っ込まれて、おろおろする、
3 Jim Black クリススピードよりもクリススピードの本質に迫っている(笑)Óskar Guðjónssonは、尺八奏法、アルヴェ・ヘンリクセンと辿っての現在だということを彼の自主制作デュオ盤を聴いて涙していました、
4 Eivind Opsvik 5. Matthew Stevens わすれたー、
6. Vitor Gonçalves Quartet カクテルピアノなので、サイドメンが本来の牙を隠してごっつうええ感じでサポートに徹している技術力と、その演奏意識の揺れみたいなものが、類いまれないい演奏、「ぼくたちフツーに好青年でしょう?と言いながら足取りがアブナイ」というような、
7. Rema Hasumi もちろん菊地雅章とは明確にチガウ、もしかしたポールブレイ、ピアノソロはコンポジションはされていない、瞬間瞬間にタッチの行き来を、合理を探る躊躇のように、どのステップの角度も力みも変えながら弛まずに凝視して弾いている、 ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま 第14回 ランディ・ピーターソン〜微分音のリズム〜 ■ 蓮見は2014年にランディー・ピーターソンに出会っている、つい最近のことなのだ、 蓮見はそれまでオーソドックスなジャズピアノを演っていてその語彙が身体化されている前提があることが重要だと思う、 バークリーを出て流行のR&Bや親しんできたポップスにその技法をアダプトして(もしくはマーケッティングして)居場所とアイデンティティと名刺を回収しているミュージシャンたちとは一線を画している、 「身体化したジャズ(もしくは慣れ訛り)」をもってして、その瞬間に何をしようとしているのか、何をしてしまっているのか(自覚できていない場合もある)、 わたしはmusicircus年間ベスト(■)にジャズでは米澤恵実(とChildhoodとKUU)を挙げる感覚とも通ずるのだけれど、
8. Sylvie Courvoisier/Mary Halvorson 一緒に演りそうもない場所や経歴の二人が、技出し放題状態でくんずほぐれつ、
9. Stephan Crump/Ingrid Laubrock/Cory Smythe 強度あるインプロとしか言いようのない見事な演奏、ここから導き出せるのは強度の弱いインプロが存在するという残酷な事態でもある、
10. Matt Mitchell あきれるくらいに何も書いていないレビュー■を出してしまった、 ティムバーンのどの曲を演っているかまでを指摘する秀逸な海外レビューがあった→■ 「ECMでは出せないだろ!ミッチェル球速162kmノーヒットノーラン仁王立ち」とおれは満点おじさん、益子さんは「これだけ弾いても言い切れていない。まだまだ湧いてきている」、福島さん「依然として渇きや飢え(渇望感とでも言おうか)を全身から放っているように感じられる」、 書いていたらまた聴きたくなってしまったー、
タダマスというのは、益子博之選曲による、毎回10CDアーティストにスポットを当てるクオーターリー・ジャズ・マガジンのコンテンツみたいなものだ、いったい現代ジャズには何が起こっているのか、その察知としてのマガジン、
今回、益子博之はmusicircus年間ベスト(■)に久々にテキストを掲げてくれた、 これこそジャズ批評になっている、耳の深度の差(おれとの)が歴然、まったく脱帽だし届かない憧れを抱く、どうにかならぬものかおれの芸風、
福島恵一(音楽批評)によるタダマス・レビュー、アーカイブ
速度と動き ―― 「タダマス24」レヴュー Speed and Movement ― Live Review for "TADA-MASU24" ■
気球が空に舞い上がり… 『タダマス23』レヴュー Kikyuu Ga Sora Ni Mayagali... Review for "TADA-MASU 23" ■
「聴くこと」がもたらす感覚の変容・変質 「タダマス22」レヴュー "Deep Listening" Makes Transformation and Alteration to Senses Review for "TADA-MASU 22" ■
糸紡ぎ車から繰り出される糸とモザイク・タイル − 「タダマス21」レヴュー A Thread from a Spinning Wheel and Mosaic Tiles − Live Review for "TADA-MASU 21" ■
「演奏機械」と「音響機械」のカップリング 「タダマス20」ライヴ・レヴュー Coupling of "Playing Machine" and "Sound Machine" Live Review for "TADA-MASU" 20th ■
サウンドの幾何学、多層による構成 「タダマス19」レヴュー Geometry of Sounds, Multi-layered Composition Live Review for "TADA-MASU 19" ■
いま再び始まる − 「タダマス18」ライヴ・レヴュー It Begins Again − Live Review for "TADA-MASU 18" ■
逆光の中に姿を現す不穏な声の身体 − 「タダマス17」レヴュー The Threatening Body of Voice Appeared against the Light − Live Review for "TADA-MASU 17" ■
シンクロ率30%? 80%? 「タダマス16」レヴュー Is the Synchronization Ratio 30% or 80% ? Live Review for "TADA-MASU 16" ■
ミュージシャンシップとは − 「タダマス15」リポート What Is Musicianship ? − Review for "TADA-MASU 15" ■
ジャズにちっとも似ていないジャズの出現可能性、再び−「タダマス14」レヴュー Possibility of Appearance of Jazz which is quite unlike "Jazz" Again − Review for "TADA-MASU 14" ■
ひとりで聴く音楽、みんなでいっしょに聴く音楽 − 「タダマス13」レヴュー Music to Be Listened to Alone, Music to Be Listened to with Others Together − Review for "TADA-MASU 13th" ■
木村充揮(憂歌団)と「逆襲のシャア」 − 第12回四谷音盤茶会リポート Atsuki Kimura(from "Yukadan") vs "Char's Counterattack" ■
アンサンブルの解体/再構築の後に来るもの −「タダマス11」レヴュー Something Comes After Dismantling / Reconstruction of Ensemble − Review for "TADA-MASU 11" ■
他の耳が聴いているもの − 「タダマス10」レヴュー What Another Ear is Listening to − Review for "TADA-MASU 10" ■
ポップ・ミュージック再構築への視点 − 「タダマス8」レヴュー A View Point for Reconstruction of Pop Music − Review for "TADA-MASU 8" ■
兆候から確信へ−「タダマス7」レヴュー A Sign Turns to a Conviction−Review for "TADA-MASU 7" ■
ゆらぎの諸作法−「タダマス6」レヴュー Manners of Fluctuation−Review for “TADA-MASU 6” ■
クラリネットの匿名的な響きとピアノの〈短詩型文学〉−「タダマス5」レヴュー Anonymous Sounds of Clarinete and "Short Form of Poetry" for Piano − Review for "TADA-MASU 5" ■
「タダマス4」レヴュー−ジャズのヘテロトピックな空間 Review for "TADA-MASU4"−Jazz As Heterotopic Spaces ■
ジャズにちっとも似ていないジャズの出現可能性−「タダマス3」レヴュー Possibility of Appearance of Jazz which is quite unlike "Jazz" − Review for "TADA-MASU 3" ■
複数の耳のあわいに−「タダマス2」レヴュー Between Plural Ears − A Review for “TADA-MASU 2” ■
「タダマス」の船出 Maiden Voyage of “TADA-MASU” ■
|