Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2016年04月25日(月) |
中村さんからタダマスのレビュー |
中村さんからタダマスのレビューをいただきました。
いつもありがとうございます!クラシック系のお話しとか奥が深いです、
音楽ライターの益子博之さん×多田雅範さんが定期的に四谷の「茶会記」で行っておられる「四谷音盤茶会」第21回目のセットリストが益子さんの方から紹介されたので(http://gekkasha.modalbeats.com/?eid=955121)それを見ながら、当日の思い出を書いています。
この会は、私も普段あまり聴く機会がない、現代のジャズ、その中でもかなり先鋭的と思われるシーンを体験できる場として、いつもお世話になっているのですが、今回の会では自分なりに結構気づかされる事が多かったですね。
まず、自分が「気に入った」盤を挙げると、益子さんのリストで言うと4枚目の"Linus + Okland/Van Heertum"と5枚目の"Ayumi Tanaka Trio"でしょうか。前者は17分という長尺な演奏にも関わらず、古楽器にも通ずる楽器の繊細な音色と間の静けさ、そして、その静けさから激しさへの移ろい、聴き手の心に様々な景色や想像を巡らしながら変容していく音楽に浸っていると、時間というのはただの数字に過ぎない、この音楽で表現される世界にはこの長さが必要だったのだという感慨がありました。
後者は、益子さんも多田さんも喝破されたように、「雅楽」をモティーフにした曲だったのですが、私にとって新鮮だったのはその「距離感」。「越天楽」にしても武満さんの「秋庭歌一具」にしても、それが演奏されるシチュエーションというのは、楽堂であったり、ホールであったり、それなりの広さを持った空間であることが多い。なので、このトリオの演奏のように、ムチがうなるような瞬発力と、音のカタマリを地面にたたきつけるようなダイナミズムで「雅楽的な世界」を体験することは滅多にない。私達日本人が最も馴染んでいるはずの「雅楽」という音楽に秘められた裏面のようなものを垣間見た、スリル溢れる瞬間でした。
それとは対照的に、「ん?」という印象を抱いた音盤もいくつかあったのですが、この日は偶然か、「声」が入ったものにそれが多かった。名指ししてしまうと1枚目のエスペランサ・スポルティングの新譜、そして2枚目の「Jaimeo Brown Transcendence」ですかね。
エスペランサ・スポルティングは今のジャズ・シーン、いや、ミュージック・シーンでは若き旗手の一人である事は論を待たない。ただ、これは益子さんの感想と被るのかもしれませんが、私的には才能があるがゆえに「やりたい事が多すぎなんじゃない?」という印象があるのです。どのアルバムを聴いても秀作なのだけど、取りあえず頭にパッと浮かぶのがデビュー作の「Junjo」みたいな感じで・・・ が、今回のアルバムは益子さんのお話しによると、エスペランサその人がリスペクトしているジョニ・ミッチェルの影響も感じられる。ある意味「彼女が本当にやりたかったのはこういう事なんじゃないかな」という手ごたえのあるものだという事でした。
選曲されたトラックからは、確かにジョニを感じさせるヴォーカルが、その良く練られたサウンド構成に上手くはまっていて、中々良く出来ているし隙がない、と思いました。ただ、私のような保守的な音楽ファンだとそこにエスペランサその人より、どうしてもジョニの影を感じてしまう瞬間がある。そして、一旦その影がよぎると、もう「青春の光りと影」とか「サークル・ゲーム」とか「ブルー」といったあの「声」と一体化したメロディが頭の中で鳴り始めてしまうんですよね。
二枚目のアルバムも同じことが言えます。いわゆる南部の綿摘み歌など、フィールドレコーディングで録られた「ワーク・ソング」を冒頭に置き、それから音楽を展開していく構成になっているのですが、その民族的な歌唱とその後の展開の断絶性というか、噛み合いが今一つ私的にはしっくりこなかった。 似たような構成だと例えばパット・メセニー・グループの「シークレット・ストーリー」やエニグマやディープ・フォレストなどのアルバムが思い出されるのですが、それらのアルバムは、「声」が強烈なトリガーとなって、その後の音楽の展開をより引き立てている。なので、エニグマが借用した「あの歌い手は誰だ!?」という話題も上ったりするわけですね。ですが、今回のこのトラックでは、最初の「歌」が終わった後の印象が今一つ薄く、多田さんが感想を漏らされたように「最後の方のサックスがとても良かった」という断片的な好感を私も持つ、という事になったわけです。
今回のタダマスイベントを終わって思ったことは、PCの前に座れば、そこには過去から現在まで無限に近い音楽の海が広がっているこの現代は、ミュージシャンにとって幸せな時代であると同時に、「私はここにいる」「私の核となるものはこれだ」というものを示すことの難しさもある時代なのかもしれないという事です。と同時に、「人の声」という圧倒的な力を持つ「音」をこういう音楽に融合させ、その存在感をも光らせることの難しさも感じた。そんな体験でした。改めて、お二方と楽しいお話を聞かせて下さったゲストの坪井さんに感謝を。そして,そんな「今」を生きるミュージシャンの皆様にエールを送りたいと思います。
では、おやすみなさいまし。
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