Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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地方のショッピングセンターの一角にあるような書店にきている、レジ前の足元にレコードえさ箱がある、新品ばかりのよう、10インチアナログ、あれ?ビーチボーイズの見たことない、ちょっと現代アートなデザイン、あのおコレ聴かせてください、坊屋三郎みたいな店主がはいはいこれはめずらしいものでございますという、原田さんが音楽本コーナーからひょっこり現れて、店主に話しかけていいのはなじみのベテランだけ、その盤はオムニバスベストだとおしえてくれる、音楽本コーナーにテレビブロスがあって表紙が武満徹とジョンフェイヒ、やっぱ似ている、特集がフィーレコ?フィーレコという活字が通用しているのか、巻頭カラーページに津田貴司in益子とある、福島さんが映っているのではないか、原田さん原田さんと声をかけに戻ると原田さんは貴重盤LPに店主と首ったけになっているのでありわたしの言葉はどうしても届かないのだった。という夢。
転校が荒れるというので美術予備校でラストスパートをかけるJKきよりんを送迎しに、初台の首都高速道路の下、 19時すぎに着いてNHKFMをつけると『N響ザ・レジェンド』武満徹特集なのであった、 ラジオからのタケミツで満たされるクラウン、少しあけた窓から風雨と首都高の轟音、
なるほどな、タケミツが視ていたサウンドヴィジョンとスティルライフの二人は次元は異なる領域にありながら、同じところに在るのだな、
とはくちをついて出たことだが、理路の説明はわからない、とにかくそんな気がする、が、夢に展開したのだろう。
-没後20年 武満徹-
上條倫子 【解説】池辺晋一郎 - 没後20年 武満徹 -
「弦楽のためのレクイエム」 武満徹・作曲 (10分30秒) (指揮)ハインツ・ワルベルク (管弦楽)NHK交響楽団 〜NHKホールで収録〜 (1996年3月1日)
「ノヴェンバー・ステップス」 武満徹・作曲 (20分00秒) (指揮)岩城宏之 (尺八)横山勝也 (琵琶)鶴田錦史 (管弦楽)NHK交響楽団 〜東京文化会館で収録〜 (1969年10月23,24日)
「グリーン」 武満徹・作曲 (7分20秒) (指揮)外山雄三 (管弦楽)NHK交響楽団 〜NHKホールで収録〜 (1975年10月8日)
「遠い呼び声の彼方へ!」 武満徹・作曲 (13分50秒) (指揮)岩城宏之 (バイオリン)徳永二男 (管弦楽)NHK交響楽団 〜NHKホールで収録〜 (1981年1月23日)
「管弦楽のためのソリテュード・ソノール」 武満徹・作曲 (6分50秒) (指揮)岩城宏之 (管弦楽)NHK交響楽団 〜NHKスタジオで収録〜 (1958年11月9日)
「ウィンター」 武満徹・作曲 (6分00秒) (指揮)岩城宏之 (管弦楽)NHK交響楽団 〜北海道厚生年金会館で収録〜 (1972年1月30日)
「3つの映画音楽」 武満徹・作曲 (13分00秒) (指揮)広上淳一 (管弦楽)NHK交響楽団 〜NHKホールで収録〜 (2010年1月20日)
2008年9月15日金沢のコンサート評
「ほれ、もっとアップで撮ったるから近づいてねー!」、午前5時に練馬を出発して、午後1時43分に着いたばかりの兼六園(金沢)の池そばでカップルに写真撮影を頼まれてデジカメを構えているおれ・・・。まるでこのカップルのために8時間43分走り続けたような奇妙な感慨。往復1013.8キロの日帰りコンサート鑑賞。思ったより早く金沢に着いたので、まず兼六園で休憩でも、という。
はじまりは今年3月25日のサントリーホールだった。長女のはたちの誕生日を祝おうとデートの約束をしていたのにドタキャンされ!カレシに負けたか・・・思いっきりブルーな気分で「そんなら地方のアンサンブルでも聴いて過ごそ・・・」などと、手ぶらで出かけたところで、オーケストラアンサンブル金沢の世界レベルの響きに度肝を抜かれ(2階ナナメのC席とかでだよ)、スキンヘッドの長身指揮者井上道義のイタリアの空のような天才に出会ったのだった。天野誠さんが制作した輪島うるし塗りのお箸もおみやげにいただいたのであった。いつか金沢の地へこのアンサンブルを聴きに出かける予感はしてた。そしていただいたお箸を長女への誕生日プレゼントへと転用したおいらだった(はたちの誕生日にそれだけでいいのか!音楽ジャンキーのおやじだからそれでいいのだ)。
クレーメルと井上道義とクレメラータ・バルティカとオーケストラアンサンブル金沢が全国ツアーしているらしい。そして、9月15日のアンサンブル金沢『設立20周年 県内縦断ありがとうコンサート 金沢公演』に、クレーメルが急遽参加するという情報をウェブで見つけたのがつい2週間前だった。ニュースではグルジア情勢ロシアの軍事介入が報じられていた矢先で、クレーメルがカンチェリの「V&V」を演るというのである。アンサンブル金沢は、岩城宏之の「みんな第九を年末にやるのはおかしい、ほんとにおめでたい時だけ演るべきではないのか」というポリシーに則り、今回は第九を演るのである。9月の第九、と、カンチェリ。すごい取り合わせだ。数日後、さらにカンチェリの演目が「Lonesome 孤軍」に変更になったという告知。これはもうECM者としては行かなければならない。
カンチェリはグルジアの、ヤンスク・カヒーゼと同郷で首都トビリシ出身。え!カヒーゼじいさんは2002年3月8日に亡くなっていたのか・・・。合掌(拙稿「ヨーロッパの精霊四人組としてのヤン・ガルバレク・グループ」参照)。カンチェリはECMで多くの作品を出している現代音楽作曲家である。トビリシは山に囲まれたひとつの風景であり、そこで、人々は故郷をひとつにし、連帯し、生き、歴史に翻弄されてきた。
さて、コンサートの感想。
カンチェリの「Lonesome 孤軍」。クレーメルが執拗にヴァイオリンの弱音をぎこちなく持続させる。バックでオケが不協和音全開で鳴らしたり、静かに揺らめいたり。このカンチェリをどう聴くか。オケのパッシブな鳴らしは紛争とか悲劇のたとえに聴いて、クレメルの持続した営みを困難な奏法をひたむきにぎこちなくとも不遇をありのまま生きる旋律として聴いて、その対比の祈りのようなオーラを聴く。しかし。そんな物語り的な記述に収束させていいのか、とも、ちと言葉に置けないところ、では、あった。いわゆる体裁が整った作品ではなかったところに感ずるものも発生したというか。何か音楽に痛みを感じるところがあった。
そんで。今回はアンサンブル金沢とクレメルバルティカが一緒にステージに上がったのだけど、総量として音量が上がっても、それぞれの響きの軽やかさ優雅さは失われてしまっていた。この夢のような取り合わせなのに、足せばいいのではないという厳しい現実、裏がえせば、それだけアンサンブル金沢は一日にして成らないことの証明であったか。
井上道義のベートーベン第九はどこか弾んでしまう明るさで。これは井上さんの天性だから納得してオッケーでいいや、日本海側なのにイタリアのように明るいのね。それよりもなんか明らかに空気の読めない石川県知事(ここでマエストロに上から目線で話すか、フツー?)の祝辞とか、それがなかったらいいのに。普段クラシックのコンサートに縁のないおっさんおばはんが大挙して参じていたのであろう、アナウンスも不充分だったせいもあって、演奏中ケータイの着信音、時報アラーム、「You Gatta Mail!」が鳴りまくっている。石川県きっての文化都市金沢でこれかよ!さすがに、第4楽章のクライマックス、第9の843小節が始まった直後で、携帯着信音が鳴ったときには、井上さん、腰に左手を当て、半身で客席を振り向き、「ちくしょう」という口の動きを見せていた。録画も入っていたコンサートなのに、とんだ第九となったものだ。でも、その井上さん61さいの男気がカッコイイと思ったのはぼくだけでしょうか。
やんややんやの終演さわぎを一足先に出たぼくたちでしたが。駐車場に向かうときにクレーメルと連れの美人女性が会場から逃げ去るように道路を横断してきたのだった。クレーメル61さい。カッコイイ。ぼくたちとすれ違った(ほんの1メートル!)一瞬、静寂と追憶シーンが交差する。
あれは85年だったか。ECMファンクラブのシアクくんがアイヒャーに会って出来立ての『アルヴォ・ペルト:タブラ・ラサ』をもらって帰国、西荻窪の彼のアパートで「ニューシリーズだって?どんな音楽なの?」と4〜5にんで正座聴きしたあの衝撃。間違いなく日本に入国した最初の『タブラ・ラサ』ECMドイツ原盤だった。誰が最初にこの音楽を歴史的に素晴らしいとメディアに投ずるか、さすが吉田秀和だった。おれが音楽評論家だったらおれだった。
あのヴァイオリンのクレーメルと交差した。人生なぞ一瞬である。
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