Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2015年11月05日(木) |
加藤典洋著『人類が永遠に続くのではないとしたら』(新潮社) 2014 |
旅客機が落ちた。これまでのアメリカは戦争ごっこだったのに対し、ロシアは本気でアイエスに打撃を加えていたのだった。アメリカとイギリスはこれはテロの可能性があると盛り上がる。当事国のロシアとエジプトは調査をしてからと歯切れが悪い。プーチンはリスク管理が問われるのだし、エジプトは観光客外貨を失うのがやなのだし。
頭蓋骨の内側をカラカラさせるやつ?よく憶えてるねー、ええっとあれは何だったっけ。
タガララジオ36■
の「リネアル」 You Tube がなくなっている。ヴィメオに移転していましたー Nick Hennies - Lineal ■
ジャンジャックアブネルが昨年8月に亡くなっていたのか、タダマス19で聴いたデルベック・トリオは追悼トラックだった、デルベックとハーシュのダブルトリオの録音風景をもう一回見よう、 ■
ブノワ・デルベックが若き逸脱疾走リサイクラーズを過ぎて、その痙攣プリペアド打法を武器に、時にはアンビトロニクスなる音響表現に手を伸ばしたりして、突如としてジャズ・クインテットとして仕上げた『Pursuit』(2000)■で、しっかりと欧州理知からジャズ本流へと導いていたのはアブネルのベースであった。「デルベックのダウンタウン顕現もアリかもしれない」と、誇大妄想の勢いで予言していたわけだが、
改めて。ダブルトリオをリリースする前にフレッド・ハーシュに人生の10枚を取材し、『Pursuit』が挙げられていたのは、共演の判断にこの盤が存在していた証しである。
すっかり忘れてしまっているタガララジオの記述に、発見してるんだか学習しているんだか奇妙な気分。
(ジョーマネリとブノワデルベックの世界標準化という17年前の使命はー)
FRYING DUTCHMAN "humanERROR" ■
「記憶喪失なのだ。」 確かにこの歌は正しすぎて、そういう“あこがれ”にはとてもあこがれる。
加藤典洋著『人類が永遠に続くのではないとしたら』(新潮社) 2014
311原発事故のあとの、補償や責任や展望を見聞しながらの“関節が外れた感じ”(加藤)を、東西の思想家の時代に即した読みを組み立てて解消してゆこうとする連載論考をまとめた著作。連載後に水野和夫著『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)2014を読んだそうで(P275-277)、この二人が異なる角度の同じ結論に至っている。
人工物と自然は発達史においては対立するものではない。クルマが身体となる、お金が血液となる、遺伝子が操作される、医薬品が変性させる、なんじゃそれ、銀河鉄道999ではないのんか、
おじいちゃんになってきたー。だけど、これはワタシなのだろうか?どうも、ワタシではない気がする。
10/31 Sat
渋谷へハロウィンを観に。NHKの交差点から渋滞。公園通り、コスプレ大勢。バイクもハロウィン、外車もハロウィン。足の細い女子高生はどんなコスプレしててもかわいい。
今年のコスプレ・ベスト賞は。190cmはある細身の若者が3人が、アンパンマンのつぶれて歪に痩せたニセモノ感いっぱいのマスクをして、本人たちはオーバーアクション気味に無邪気と陽気を演出しているつもりなのだけれど、貧相で邪悪なアンパンマンがジャイアント馬場の真似をしてしまっているふうに見えて、その落差、意図と結果の落差に、目が釘付けになった。その3にん。すごく笑ったよー。
「天保十年のハロウィン 『蝶々踊図』小澤華嶽」
駅前のスクランブル交差点、22:15。横断歩道を車道にはみだして走る若者を、警察官が本気で後ろから羽交い絞めにして引き摺って歩道に投げ込んでいる。素早い。大型バスに鉄格子をはめた警察車両が5台。何かあったら200人は逮捕できる体勢。信号が変わると警官が数珠繋ぎになって人並みを押し込んでゆく。プロフェッショナル、仕事の流儀。
おれはトーマスモーガンのコスプレをしたい。だれもわかんないかー。 Jakob Bro, Thomas Morgan, Joey Baron - Schlachthof, Wels, Austria, 2015-09-17 - Copenhagen ■
Jazz Tokyo特集「はじめての音楽」再録
幼稚園の頃に、昭和41年かと思う。北海道放送HBCに勤めていた伯父が、コンサートホールを見下ろす録音室に入れてくれたのを鮮明に憶えている。客は居なかったから、あれはリハーサルだったのだろう。音合わせの響きや、繰り返される断片。見下ろして、呆然としていた。
30代の予備校事務員だった頃に、翻訳か何かだったのだ「空から管弦楽が降ってくる」というテキストが、ビルのベランダで喫煙しながら見上げている6月の青空に妙にマッチしていることと、幼少期に見下ろしたコンサートホールの記憶とが到来してきた。
オーケストラを聴きにでかけると、オープニングの音合わせの時に、満たされた気持ちになる。
伯父の音楽の趣味は知らない。伯父はその数年後、退職して離婚して放浪を繰り返して最期は北海道の山に入り、川の中で発見された。
予備校を辞めて、タワーレコードで退職金の大半をCDに取り替えたり、離婚してしまったり、行き場が無くなって苫小牧フェリーに乗って北海道へとんずらしたりしていたら、父親から「マサノリ、しっかりしろ、おまえを見ているとアニキを見ているみたいだ」と言われた。
昨年父親が亡くなって、墓誌の建て替えなどをしていたら、伯父の一人息子が北海道で教師をしているらしい、ネットに情報があった、と、いとこから知らされていた。47年ぶりの再会をしてみようかなあ。
「はじめての音楽」としてHBCホールの記憶を置いたらこんな作文になってしまった。
小学生時代の、ドレミを知らずにハモニカを吹いていたことや、音楽クラブのことは、「おやじカンタービレ Vol.2」(http://homepage3.nifty.com/musicircus/rova_n/rova_r12.htm)に書いたとおりに、わたしにとって音楽を聴くこととは恋愛ごとと等値なところがあるもので、金銭とかビジネスとつながる枠組みは苦手だ。演奏家としての教育も受けていないし、ジャーナリストでも批評家でもない。気に入った音楽をBGMにして、ここJazzTokyoで書いているのは楽しい。友だちが、家族が、親戚が読んでくれているのが楽しい。
中学3年の夏休みに「幸せのアンサー」という曲をステレオでかけて、うでから背中にかけてゾワゾワっと鳥肌が立ったのを思い出した。改めて聴いてみると、これがジャズ的なものとの出会いだったのかな。
Paul McCartney - You Gave Me The Answer https://www.youtube.com/watch?v=wyo_xGyVJuA
(多田雅範)
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