Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2015年10月09日(金) |
RE:『松籟夜話』番外篇 来場御礼 |
耳の枠はずし 『松籟夜話』番外篇 来場御礼 ■
やはり、そのような選曲なのだった。
「説明するために音源を当て込むのではなく、紹介するに足るだけの高い強度を有した作品を選び、むしろスティルライフのイメージを四方八方に引き裂くつもりでよいのではないか」
その人の耳の人生で出会った、唐突に脈絡なく遭遇した、津田さんと笹島さんの耳の人生を踏み外した凶悪な音源たちが、結果選ばれたのだった。
さかなだって、ちょっとしたサジェスチョンで、あんなふうに響いた。
トシのせいか飽きたせいか音楽に響かなくなっていた身体が、このイベントのこの時空に響いた音源たちに、この体験をしたかったのだと、思う、ひたすら耳が響きを追っていた。再生装置が良かったから?初めて聴く音源だから?
フィーレコ耳に訴える、何らかの美学というか、未知の誘因形式を備えたものばかりだったから。・・・なんて、キレイなまとめではきっとない。
たとえば。手拍子にイカれてしまったんだよね。この雅楽の響きが。あれは昭和62年の。鳴ったとたんに身動きできなくなった。ドラムが合ってないようなカンジに。背後の機械音が。・・・なんでもいい(よくない)、単に「これがいい!」というフレーズであったかもしれない、大学の講義や書籍では伝わらないような、ナマの言葉によって伝播している。目くばせでも、口調でも、言い淀み、間によって。思念は伝播している。
カフェの効用、耳の公共性、とは、実は相当に深淵な、意識/無意識とか、
強度ある作品。
とは、まず、耳が打たれて在る。打たれた謎が知りたくて、ひとは探求する、言葉を捜す、視点を求める。
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