Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
DiaryINDEX|past|will
昭和33年砂川駅前。
もっちゃんからFBメールで昔の砂川の写真。
幼稚園に行く前だから4さいかな。東1北7の母方の実家に朝から預けられていたのだ思う。
祖母と二人で8丁目と9丁目を分けている川のほとりを散歩したのだと思う。小さな商店があって、そこに寄って何かを買ってくれるという祖母に、川を見たいから此処に居たくないという感情だけで「あっち行く、やだ、やだ」と主張していて、今思えば困らせた記憶を、50年ぶりに思い出した。
祖父の仕事場にかかっていた風景画は、その川のほとりの風景なのだと、4さいのぼくは決め付けてしまっていて、その後砂川に行ってその風景画を観るたびに思い出す函館から訪れていた小学校時代だった。
幼稚園の頃の思い出は、駅前の国道に面していた中央バスのターミナル、5列はあったかな、あの華やかさ。バスに乗って、「黛じゅんが好き!」と主張していただけの記憶。
もっちゃんちは西2北4にあって、そこから砂川駅や国道や宮下までの地図は、よく自転車で走り回っていたこともあって、
ぼくの夢の中の地図の原型になっている。
10代、20代、30代、40代とずっと夢を見ると、夢の中には地図があって、誰にもそういう地図が頭の中にあるのだろうと思っていたけれど、実はそうでもなくて、で、その地図が砂川の街の形であることに気付いたのはついこないだだったのだな。
「夢の中の地図 初夢」 ■
東1条南2丁目付近より砂川駅方面を望む (砂川市・昭和43年・提供:砂川市)
|