Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2014年10月06日(月) |
松籟 - 松の梢(こずえ)に吹く風。また、その音。『松籟夜話』第一夜 |
台風一過。一日中テレビが大きな被害を強調しながら、すごくはしゃいでいるようだった。今朝は4時半起きでNHKをつけながら3時間半も昼寝をしたら、富士山が透き通ってよく見えた。新橋から国際フォーラムの線路沿いを抜けて、夕刻の東京駅。オルゴールの電照盤のように美しく変化してゆく紺色の夜空を中央道経由で。ホソダさんの編集CDRをかけながら都心を抜けてゆく。昭和歌謡のエキゾチックな懐かしさに、反響しているオリジンたち。ははは、音楽は人生を味わうように出来ている。記憶に残る逝った友人知人親戚家族たちが生きていた生活空間の呼吸の記憶をダウンロードしながら、過ぎる風景と音楽と記憶をカットアップし続ける。ぼくはぼくではなく、ぼくは彼らで、これらの総体、発光ラジオだ。
松籟 - 松の梢(こずえ)に吹く風。また、その音。松韻。松濤(しょうとう)。 2月の「冬の里山でみみをすます午後と夕べ ワークショップ+コンサート at 益子」■ で、歩きながら、津田さんが松籟が聴こえますね、という。 横にいたわたしには、まったく聴こえなかったのだった。
いくつかのフィーレコ音源体験によって、耳のフォーカス能力のショッキングなありようを体験していたわたしであったのに。
とはいえ、聴力に自信があるわけではない。どこをどう聴いているのか自分でもわからない聴き間違いはいつものことだし。他者のサジェスチョンで、聴こえるようになる、そういう体験のほうが多いかもしれない。本質的には、偏っている。自分としては偏っているとは思わないので、聴こえたとおりにくちにすると、あさってだったり、時にスルドかったりもしているのだろう。
わたしにとって、松籟が聴こえなかった体験は、とっても彼方の灯台のように、聴くことを渇望させる、サースティイヤーThirsty Earな、耳の欲望の根源にあるもののようであったもので、『松籟夜話』というネーミングには、アイフォンの文字が網膜に映った瞬間から、あまたのLP集めや編集CDRの果てに訪れるようにして訪れたもののように得心しているのであった。
それはともかく、福島恵一さんの「耳の枠はずし」レクチャー@カフェズミに続く、注目のイベントだ。いまのところFaceBookだけですが、福島さんのブログでも告知されるはずです。
『松籟夜話』第一夜
2014年11月10日(月)20:00〜(22:30終了予定) 1500円(珈琲付/おかわり300円) ギャラリー白線 杉並区阿佐谷南1-36-14 ハウス白鳥1F-B
音楽批評・福島恵一とサウンドアーティスト・津田貴司による、フィールドレコーディングを中心に「聴く」ことを深める試み。 さまざまな音源を聴きながら、「音響」「環境」「即興」をキーワードに夜話を繰り広げます。 ギャラリー白線オーナー・歸山幸輔によるスピーカーとていねいに落とした珈琲もどうぞおたのしみください。 第一回は、フランスの演奏家ミシェル・ドネダを中心に音源を聴き込みます。
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