Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2014年02月22日(土) |
「tactile sounds Vol.14」 |
サックス奏者/作曲家の橋爪亮督と音楽批評の益子博之の二人が「触覚で感じる、いま・ここで生まれる響き」をプレゼンテーションするライヴ・シリーズ 「tactile sounds」■
「tactile sounds Vol.14」 森重靖宗(もりしげ・やすむね) 橋爪亮督(はしづめ・りょうすけ) 中村 真(なかむら・まこと)
喫茶茶会記へ、タクタイルサウンズのライブへ。
ライブが終わって、益子さんに「いやあ、これは事件ですねー。すごいものを聴いてしまいました。前半はどーなることかと思いましたが。浅田真央状態ですねー。」などと口走り、それは会場に響いたものだから、お客さんたちがどっと沸いた。
しかしそれは慎まなければならないことなのだ。音楽が、終ってすぐに判定されるわけがないのだ。
即興のジャンルに居ると思われているチェロ奏者の森重さんと、現代ジャズのサックス奏者橋爪さんの取り合わせは、予測不能なものだった。
そして、3にんでの即興演奏が始まると、チェロとサックスの響きの交感、それこそ演奏家の命懸けの跳躍である。感覚を研ぎ澄まし、大袈裟ではなく100分の1秒のタイム感覚とコンマなんちゃらデシベルの音量とウルトラ微分音射程の音程を即座に判断している(このあたりの表現すいません)。
チェロにマイクを装備して持続音を中心に繰り出す森重と、トーンを層にして揺らいで応じる橋爪と。このサウンドに対して、打楽器であるピアノは宿命的に封印されるが如くの様相になるのだが、ピアノの中村はその本能で音を置き、連打にてピアノを反響音の塊にしてさえ見せたのは凄かった、評価にあたいする。聴くワタシも同時に奏者となり、その勇敢さと思い詰めた一瞬に対峙する。これが一部だ。
後半。二部は、チェロもサックスも、持続音系からリズムを内在させる表現へとシフトするようであり、それはピアノの本性を召喚するサウンドとなり、3者は共有する土台を瞬時に把握し、音楽を、即興演奏を飛翔させたのだった。それはもう、ミュージシャンの生命を賭した旅路だ。表面的に激しいとか速度を演出するのではない。足がかりなく、おのれの耳を賭けた演奏の交感なのだった。
ラストは用意していたスコアをやめて即興をすると判断した橋爪。
今日初めて出会った3にんの即興演奏家は、3にんにしかできない世界を拓いていた。これはもうスーパーユニットの出現だ!と唖然としながら聴いた。音楽のマジックとはこういうものだと打たれるわたし。いやまあ当然ですよと言いたげなような清々しい表情の3にん。
おれは帰り道、浅田真央状態ですねーなどと口にした浅はかさに反省と落ち込みだった。会場に抑圧的な感想を刷り込んでしまったのではないか。そんな単純なハナシではなかったろうに。苛烈で予測困難であった一部のほうがむしろ果実ではなかったか。
森重のすぐにECMに録らせるべきヴィジョンの横溢と、橋爪のそばで聴く重層津波のようなトーンの発見、橋爪の持続音でチェロが共鳴し名指しできぬ響きが現出したのはこの喫茶茶会記というハコの奇跡でもあるし、益子博之がこの場所で橋爪をシリーズする慧眼の結果でもあろう、森重と橋爪の相性もさることながら、ピアノの中村の即興感覚と打音に殊更に惹かれた。ピアノ機材自体はしょぼいが(クラシックのに比してね)、中村の演奏が凄かった。
演奏家として歩んできた道のりはそれぞれ異なることであろうことは、耳でわかった。3者が対等に出会い、足がかりなく冒険し、そして体験する。おれはインプロはもういいかなー、なんて構えで暮らしてきたけれども、見事に覆された、圧巻だった。
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