Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2014年01月28日(火) |
タダマス12終って2日目のマフィア多田男前の演説 |
ヴィジョンや速度や複数のタイム感覚や風景や感情や色彩や感触といったもの
そこには郷土や思念も響いているかもしれない
90年代以降ですか???
モチアン・メソッド、TPTトリオensemble improvisation、The Sea / Ketil Bjornstad、三善晃合唱+オーケストラ作品、ガスターデルソル「Upgrade & Afterlife」、Three Men Walking Maneri/Morris/Maneri、マイブラ「ラブレス」、ミシェルドネダ齋藤徹「春の旅01」、ユニヴァーサルシンコペーション、「砧」「羽衣」観世寿夫至花の二曲、スヌープドック、ジルオーブリー「カイロ」、紫絃会/春鶯囀一具、ももいろクローバーZ、
「MajiでKoiする5秒前」の間奏は黄金だ。小沢健二だ。今年長女が結婚するんだなーと思って聴いていたら泣き顔になってもうた。
年末に録っておいたNHKのクラシック年間ハイライトで、まあクラシックにもあれまあと思う打ち上げ花火はあるものだけれど、突出していたのはチョン・ミョンフン指揮で歌う藤村美穂子、小澤征爾サイトウキネンオーケストラでラプソディーインブルーを弾く大西順子だったかと思う。大西順子は村上春樹と小澤さんとのこんなドラマチックな引退反対で弾いたのだね■必読記事!。おれも大西順子は年間ベストに挙げたほうだし(成田正さんと)。
ジャズの現代性でいえばさ、さっき橋爪/市野/橋本トリオのスタンダード演奏(!)聴いて明白だったんだが、快活に確信犯的にタイムがスベるんやよ、3様のタイム感覚を戯れさせてんだな、それでスタンダード演るんよ、そして響きを交差させるような密やかな微笑み、この気持ち良さ、カッコ良さ、昔こんなの無かったもん、つまり現代性。
ショーターGも大西も役割分担固定で、守備位置を軸に動くわけさ、あんた三塁手とか、つまり野球なんさ。橋爪/市野/橋本トリオはそれを言うとサッカーの美しささ、ざっくりと、言うと。サッカーにもトホホな試合があるように、野球にもいい試合はある。オーバーアクションなだけで観客が入ればそれでいいのさ的なもん、と、定型プレイだけれど彼女の真摯に表情に打たれる際どさにわくわくするの的なもの、の、差。
野球から見たらサッカーは、ナニちょろちょろしてんねん、お前の役割ちゃうやろ、動くな!肩のフォームがなってへん、下手くそ!となるに決まってる。
タダマス12で外山さんに受けたものをうまく書けていない。お風呂の温度、おでんの出汁、プロポーション、感情、ミキシングの意図、・・・。ジャズ評論のジャーゴン、クリシェでは掬えない有り様を柔らかい言葉で。・・・いつかJazz Tokyoで「ジャズは新入社員の表情がわかるようにわかるものだ」と誰かが書いてたのがあったっけ。
作品は誰かが作っているのではない。誰かと誰かが作っているのではない。
そのサウンドが描いているヴィジョンや速度や複数のタイム感覚や風景や感情や色彩や感触といったものを、聴いているのである。いや、そういう角度でより伝わってくるものがあるほうが多いと言うべきか。
そもそも、その音楽を、その奏者として聴いていないことのほうが、受信するわたしは自由になれる場合は多い。
即興は当初から音響を問題にしていた、と、示唆を受けてから、耳のパラダイムシフトは起きていた(大げさですんません)。
マークターナー、クリススピード、メアリーハルヴァーソン、クレイグテイボーン、クローディアクインテット、・・・現代ジャズばかりの話じゃない。
作者はいないとか主体なぞ無いというポストモダンの話でもない。であるかもしれない。関係性の中にワタシは存在するように、響きあいの中に音楽の大切なものは宿っている。(・・・あれれ?大雑把すぎるわ!)
クラシックのコンサートによく行くけれど、肝心なのは連れ出されるような無名性の響きの発生か。それは上手くキメてやろうという超絶技巧では生じない。演奏技術はプロだものあるわいね。何をしようとしているのか、伝えようとしているのか、を、突き詰めた先に無名性が現れる。
いないいない、ばあ。である。
好きになった曲をしつこく聴くアスキータちゃんの同志であるわたくし、いつのまにか居なくなってしまっていたり、別人のようにまったく違う様相で現れてきたり、する音楽のマジックを知っているわ。
だからガルバレク、それはあなたの音楽じゃないのよ。
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