Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2013年11月16日(土) |
ばかなこと(言うんでない)! |
羽田に停めてた。空港から環七北上して練馬まで一直線。
今回は千歳空港〜新さっぽろ〜菊水と病室を往復した。新さっぽろで、アイフォンの画像をプリントしてアルバムを作った。病室の父親を喜ばせるために。新さっぽろの写真屋の女店員は親切だわ。
この辺りが原っぱの原野然としておりここに「新札幌」という駅ができた頃、高校1年になったぼくは友人たちとラジオで聴いたばかりのバウワウの『シグナルファイア』を買いに来た。片手にLPレコードを持って自転車をこいでいたことを唐突に思い出した。
砂川には6年、函館に7年、札幌で5年居た、それで18になるだろ?
病室で妹と、父親との昔話、父親の物語り、来歴の確認。3・4さいの俊夫が火遊びをしたのではなく、「アニキが」と発語したから、それが真実だろう。晩年にアニキのせいで経済的に火だるまになったのも、耐えた三男坊の必然かね。ミユキ婆さんは生長の家の活動家で演説していた人物だ。マサオ長兄は東洋高圧で電気の不具合で操業停止に陥った際に、その専門知識で即座に直してしまい名を上げ、北海道放送HBCに入社、重役の娘をもらったが、マルクス主義にものめり込んでいた、ノイローゼにもなるだろう。トシオは長兄からもマルクス主義を知った。函館時代には家族に隠れて早朝赤旗を配り始めていた。労働組合の幹部であった時期は札幌に居られたけれど、降りるとすぐに遠軽に飛ばされた。
ほとんどイエスとノーしか反応しないでいる父親に、「ばかなこと(言うんでない)!」と二度怒られたのだった。「子どもはかわいいねー、おれも新しいかあちゃんもらって・・・」と言った瞬間と、「おれは犬はキライだよー、犬見たら鍋にして喰ってまうぞ・・・」と言った瞬間に。「パパ、そんなにしゃべれるんかー」と喜ぶ出来損ない長男。
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