Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2013年08月12日(月) |
カツコおばさんのお見舞い |
ニセコの空。
カツコおばさんのお見舞いに行った。血栓症と末期がんの判明で数ヶ月ときいた。
駅前から歩いてきて角を曲がると200メートル先からおばさんの笑い声が聞こえたよね! おばさんの声で「まーやん!よくきたねー」て聞けないのは寂しいよお!
と話すと、おばさんは顔をくしゃくしゃにして笑った、懸命に「まーやん」と声を出してくれた。
おふくろ、久しぶりに笑ってた、来てくれてありがとうとモッツ部長と奥さんとみつえちゃん。
部屋じゅうに新聞紙を敷いて食べたジンギスカンの光景をみんなで想った。
恐怖新聞やうしろの百太郎をリアルタイムで読んで、トイレに行くのが怖かったよなー
結婚のときに砂川の宿を取ってくれたことを、感謝した。ぼくは25だった、たしか。その宿で布団に寝転がって原稿用紙に向かった、ジャズ雑誌から頼まれていたキース・ジャレットの10枚を書く原稿で、こともあろうに「風の谷のナウシカ」を書くなんてとんでもない破天荒な態度だったけれど、今となってはどことなく真実を突いているようなところもある。
FaceBookで流れてくる音楽情報にドキドキしていると、めまいがしそうよ。
YouTubeでちょこっと聴いて、あっという間に2・3時間経っていて、何聴いたか、アーティスト名すらスルスルと記憶からこぼれてゆく・・・。
この夏の野外音楽フェスでミスチルのファンが会場の席取りをして、お目当て以外のライブを無反応に占拠している光景を「ミスチル地蔵」と音楽ファンの怒りを買っているそうな。スマパンのメンバーもオーディエンスに皮肉を言ったとか。果てしない闇の向こうに手を伸ばす系の人々、というミスチルファンへの形容は笑える。おれ、ミスチルファンだったんだけどなー、旅立ちの唄(2007)でなぜかファンとしても旅立ってしまっていた。
おれ、おふくろ、かつこおばさん、1961
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