Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2013年04月08日(月) |
「教室内スクールカースト」光文社新書 |
ありり、年明けてタガララジオ書いてないわん、わん、わん、 二代目グランディスにCDプレーヤー搭載してないからだわ、 オットークレンペラー、みすず書房読んでて途中で「教室内スクールカースト」光文社新書を 読む、
いや、会社でもそういうところあるよー、つうか、カーストそのままか、
おれはそういうのピンとこなくて部長でもバイトでも名前はサン付けで対等なかんじでいる、
イトーヨーカドー、西友、アコレ、まいばすけっと、セブンイレブン、で、買い物してる、このごろ
マックの鶏肉がやばいという記事をFaceBook経由でみた、 ■
フクシマの子供たちがやばいという記事をFaceBook経由でみた、 ■
NHKスペシャルの魂の作曲家・佐村河内守、録画しといたのを観た、 ■ これはちょっと聴いてみたいなー、図書館予約がごっそり!
恵一兄さんが1番目に挙げていた Wandelweiser und So Weiter が Ftarri で6060円、 注文せり、
私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! レッドデータガール 第1巻〜第5巻
内田樹「学校教育の終わり」■ うん、目の見える範囲内のお付き合いでやってく。
原田さんの投稿
店で、お客さんがいなくなって一人になった時や、閉店後にビブリオテカ・ムタツミンダに籠った時にかける音楽からジャズが消えて久しい。 コンテンポラリーなジャズは、聴いていて、瞬間は、あるいは数日はいいなと思うCDがあるが、結局は厭きてしまう。2〜3曲ぐらいでCDをプレーヤーのトレイから出してしまうものが多い。
ビブリオテカ・ムタツミンダは「副題」をECMライブラリーとしているのに、そこでECMのジャズを聴くこともほとんどなくなった。ECMだと聴くのは古楽的なものや、エヴァン・パーカーやダンレザルブルぐらい。ECMは資料として義務感で買い続けている感が強い。プーさんのECM盤ですら、すでにECM棚にしまったままになっている。
店にお客さんがいる時にオリジナルのアナログで古いジャズをかける時は、それはそれでジャズってやはりイイよねぇと思うけれど、この頃は片面聴くともうお腹いっぱいになる。 大好きで何枚もオリジナル盤をもっているジョニー・ホッジスも、たくさんのクラリネット奏者のスウィンギーな、あるいは中間派的なアルバムも、聴いていて心が踊らなくなったのは自分でも意外だ。ホッジスなんて一生聴いていられると思っていたのに。
今日、店で夜、ひとりになった時、何をかけようか迷い躊躇していた時、店ににあるLPやCDでこれ!といったものを思いつかなくて、結局、自宅からビブリオテカ・ムタツミンダに移したハフラー・トリオのアルバム群を店に持ってきて、やっと気持ちが落ち着いた。
今のジャズが面白くないとか、ダメだというような批判的な事ではなくて、自分の耳が今、求めている音がそこには全く無いってことなのだろう。こういったことは、この数年、周期的にやってきては、しばらくするとジャズへの少しの「揺り戻し」があった。 ただ、今まではジャズの新譜に対して冷淡になった時期ですら、古いジャズはスウィングもブルーノートやウエスト・コースも安定して好きであり、ホッジスは別格で、聴いている時の満たされた気分に揺るぎはなかったのだ。
今回は「重傷」なのかな。 いや、実は病気が快復したような気分があって、それが自分では面白いなと。 ジャズを聴くのは「鬱々とした病気」で、ノイズやサウンド・スケープのような、言ってみれば「正体不明」な音を聴くほうが「すがすがしくて健康」という感覚。 _________________________________________________
『2012年のこの10枚』の「下書き」です。
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