Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2013年03月26日(火) 東京混声合唱団の定期演奏会230




どんどん、上野の東京文化会館小ホールへ、東京混声合唱団の定期演奏会230。上野公園の入り口、都民の文化の殿堂。今夜はそのあとかなちゃんとレバニラ定食あーんど墨田区荒井湯(浅草蛇骨湯は火曜定休のため)。

入野 義朗:作曲 IRINO Yoshiro(1921-1980)
凍る庭 (1961年委嘱作品)
村野四郎:詩

吉川 和夫:作曲 KIKKAWA Kazuo(1954-)
どうして あんなに
まど・みちおの詩による連作合唱曲(2012)
まど・みちお:詩

権代 敦彦:作曲 GONDAI Atsuhiko (1965-)
混声合唱とピアノのための
六字大明咒
The Greatest Six-Word Brilliant Dharani(2003)

篠田 昌伸:作曲 SHINODA Masanobu(1976-)
混声合唱とピアノのための
さかなまち(2011)
廿楽順治:詩
I.堀理髪店 II.中村そばや
III.肴町 IV.燃えるじてんしゃ店




(昨夜のインプロ作文)

そうだよねー、ウエザー・リポート、聴いてたよね!
プロセッションやドミノ・セオリーで落ち目だとかイマイチと言われてても、聴いてたさー。

ハンコックの洪水かけて、ECMのロータスの宝石のピアノのインをかけて、
ハンコックさいこー!と夜中にアパートでだべっていたら、
下の階の大家さんが翌日夕刻に夫婦で訪ねてきて「たださん、ジャズとかお好きなのですか?ハンコックってジャズのひとですよね」なんて話し出す、「これからジャズのビデオを観るんですけど、ご一緒しません?」なんて言われて、「行く、行くー!」とついていったら、地域の創価学会の集まりでおれは何も知らないからいきなりおじーおばーが「なんみょーほーれんげーきょー」と大合唱されて度肝を抜いてた、で、たしかに創価学会の催しでハンコックが弾いているビデオを観たのだった。続いてご紹介したいひとがいるというので、どこかへ出かけて(たぶん小平あたりだった)、千畳敷きの大広間でまさに千人の女子高生女子大生女子中学生たちが一斉にお題目を大合唱をするシーンに遭遇、これはもうハンコックどころではないかもしれない、千人の若い女性の声を浴びる体験ができるのなら、このまま入信してもいいとさえ思ったんだが、お会いした現役教員のおじさんがなんつうかダメだったんだよなー、そんなことがあった82年だったかと思う。その後予備校で模試を販売したり成績表届けるのに創価中学校創価高校に出入りしたけど、宗教の学校というのはいいもんだと思ったけれどねー。

でもさー、リッチー・コールとか復帰したアート・ペッパーとか、今誰も知らないですわ。

コルトレーン、アイラーを継ぐのがデヴィッド・マレイだと、マレイを追っかけたなー、WSQやマレイがビッグバンドやったあたりまでは作品に勢いがあったよね。DIWで出し過ぎているうちに忘れられてしまったというか、飽きてしまったというか、季節は変わっていったのだった。

80年代はウイントン登場とジャレット・スタンダーズとオーネット・プライムタイムとスレッギルヴェリヴェリーサーカスとパットメセニーグループとジョンゾーンソニークラークメモリアルカルテットでいいのではないでしょうか。

ウイントンとジャレットが、フュージョンだのフリーだの混沌としていたジャズ・シーンを一新して、アコースティックなジャズの復権を果たした存在なのだね。ウイントンとジャレットが口喧嘩していたのがよくわからない。

ジョン・ゾーンがウイントンに噛み付いていたような気がするが、ジョン・ゾーンのほうが早く古びたね。

ジョン・ゾーンのマサダと、ジャレットのスタンダーズと、ウイントンのブルースアレイを、3つのステレオで同時再生してみてごらんよ、いいかんじなんだよー!

そんで、ステファン・ウインター率いるJMT、Winter & Winter、Bambooが、ジャズの主線を掘り進んでいたんだな。ロヴァーノ〜フリゼール〜モティアンはウインターが居なかったら録られなかった(このトリオはECMが初作だが、ウインターが次作以降を実現したのだ)。

ロヴァーノはサックスの革新をして、マーク・ターナーがそれを継いだ。
フリゼールはギターの革新をして、ジャズもフォークもポップも相互乗り入れの土壌を作った。
モティアンはタイムキープの革新をして、速度の第二定義を体現してみせた。

この3にんに、コニッツやヘイデンやプーさんがからむのは、ほんとうに当然なのだ。

ジャズ史の感覚があれば、パーカーからここまでが正史だろうに。

モティアン逝去後1年経ってようやく欧米でもそういう認識の評論が書かれるようになったが、このラインの記述はおれが最初だからね。つうか、ステファンウインターの仕事を聴いてりゃ、みんなわかってたわよね。

ステファン・ウインターを国内盤にするのは日本ではボンバ・レコードであって、スイングジャーナルにもジャズライフにもジャズジャパンにもアドリブにも献金しない体質だからね。

ジャズライターがいろんな方面に目配せセレクトする態度をよく見るけれど、あれはおカネください、よろず屋でございます、おカネいただいてます、本売れてます、調べて評論はいたしますがグルメではございません、という広告的態度だからね。

益子博之が90年代00年代を選曲し10回ほど講演したリストを見たけれども、このリストこそが価値だわ、著作権だわ、批評だわ、

そうだよ、ミュージサーカス今年のベストだけれど、そのリストを実績としてウェブに復刻し、今年のベストセレクトの理由付けというか、信頼性の担保とするのがいいのではないのだろうか。

なんのハナシだっけ、ハンコックかー。
フューチャーショック1983はクズだったけど(クズすぎでフューチャーショックと当時騒いだぜ)、 This Is Da Drum 1994の一瞬の閃き挿入にはシビれた。ほかのはどれもなんとも思わないにゃ・・・。ショーターハンコックデュオもニュースタンダードも、「そりゃ、そーなるだろー、プラスアルファはないのかね」程度。駄作とは言われないギリギリのゼニ稼ぎ。いやいやいや、この際だからハッキリ言ってやったほうがいいんよ。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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