Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2013年03月12日(火) |
2夜連続浅草ドライブ |
NHK純と愛を録画ためて見てますねん。今日(火曜日)のラスト、じゅんといとしくんの見つめ合い、いいねいいね。男の子は女の子のそういう笑顔のちからで生きられるの。
ルーだけでカレー作って食ってみたがマジイのなんのって、なんか腹の調子わりいよー。おれがカレー食いたい言ったら彼女がそれ作ったんだよ、ひどいのんよ、わかれた彼女だけど。料理の上手いおなごはたまんねえな、五感制覇されたらわかれるのたいへんだから、わかれたのに料理食べたいと思ったりしてさ、で、何食う?あ、ここのステーキしようか。4千円だよ、腹の調子わるいんでしょお父ちゃん。そうやなー、お母ちゃんの何がすごいかって選択に間違いが無いことなんだよ、借りる部屋にしても生活上の決断にしてもさ、おれの選べないものを持ち込んでくれたんだ、フリッパーズギターとかペットサウンズとかスタックリッジとかさ、ヤングイン倉敷だってさ。わかるなーそれ。
yaqui indian folk song / Keith Jarrett ■
浅草で寿司と温泉。日向丸と蛇骨湯。
次々に皿をたのんでいるとお姉から電話。今からタクシー乗ってこっち来る?おれはいつでもいいよ、仕事、そうか、うまくがんばれてるんか、よかったよかった、え?レバニラ定食たべたい?明日?いいよー。
Bremen Encore / Keith Jarrett ■
翌日。
下町の文房具屋で働きはじめたかなみん24を向かえに行く。会社へは自転車で10分だという。
江戸通りを北上する車線の横にかなみんが自転車をごくのが見えた。マラソン選手の併走車みたいなかっこうになって。19年前に武蔵野公園で自転車を練習していた姿が二重映しになる。3さいの声、10さいの声、19さいの声、声、声、声、へんな漢字だなおまえ、こえがこだまする。自転車に乗る女の子はスピッツとジュディマリ。
はじめての中華屋さんでレバニラ定食と餃子とトマト。ここ美味しいね。25にちはわたしの誕生日よと、いたずらっぽく笑う。カレシの次の優先順位でいいから、ごはんたべよ。
レンアイなんてのも精神病で依存症だかんな、まずわたしの孤独を百年つきつめて、そこらへんの友だちだなんて浅い浅い、百年まえの小説家とか60年代の音楽家とかが真の友だちよ、宇宙空間で真実を見つめるんだ。
時を渡れるつばさが欲しい。目を閉じる。スパイラル・ライフ『フローリッシュ』「STEP TO FAR」の一節が耳に届く。
The Sea part II / Ketil Bjornstad ■
音楽サイトJazz Tokyoに以前書いていたコラム「おやじカンタービレ」「ニセコロッシ・コンサート・ツアー」のバックナンバーが無くなっているのに気付く。素直に哀しい。
16日のカート・ローゼンウィンケル・グループ@草月ホール、招待選手として行けるようになる。キュートすぎるドキンちゃんとスレンダーすぎるアスキータに会えるかなー。
いとこのよったん(暴風雪の大自然留萌在住)の次男が中央大学に進学で上京するらしい。合格おめでとうさん。
マツケンサンバ ■
Caroline Says / Mark Almond ■
Grateful Dead - St. Stephen - Live 1969 ■
Mayor of Simpleton / XTC ■
The Durutti Column- Lips That Would Kiss ■
FB備忘
7年5ヶ月ぶりにやっても同じ結果だった!!「そうする事に何の意義が有るのか」というワタシなのだった、エコグラム性格診断。おれ、ホントにそんななのお???泣き笑いしてしまうな。あのー、みんなも同じcababだったでしょううう???(コメント切望)■
私はbbaabだそうです。う〜ん、そうなのかぁ。 どれどれ、どんなワタシだったのですか?落ちこぼれジャズリスナーの友人の手をひいて現代ジャズの海原に飛び出すルフィだと出たでしょう? いや、なんか人生謳歌していて、何やっても大丈夫みたいな。そんなに僕、強くないのに。 ね!ルフィでしょう?おれの見立てどおり!益子さんの批評文がそうなんだなあ。 わしはabcabだった。芸術方面しかない、ただし年齢が若いうちという条件付、だって。ボケが!! わはは、「しかない」のですよかよちゃん、すみだトリフォニー応援団の女王。おれ団長。 またの名を招待古事記デュオ!! だんしんぐ古事記のまねしただよ。 おれは「山下洋輔トリオ・ジェラルド大下・大駱駝艦」以外は一切要らないねー。ピアニストじゃないもん。 ははは。だんしんんぐ・・は聴いたことないだよ。名前だけ知ってるが興味ナシ! 立松和平がライナー書いてるボックスでユニオン吉祥寺で500円で買ってすぐ売ったなあ いつだかテレビで坂本龍一と山下洋輔が即興ピアノデュオやっててこれまたぼーとくのきわみよね ハザマミホとのニューイヤーコンサートで一番オーラあったのは客席にいたコルシカの画家なり。 え?え?わかんない、かいせつして ヨースケさんとその愛弟子のハザマさんとのニューイヤーコンサートいったんだけど、なんか長いだけでなんだかなーと飽きあきしてきて。クラシック的な秀逸さしか感じんわ。藤井郷子とかとは比較にならんな、といらいらして観たなり。招待で客席に来てたコルシカ在住のレジオンドヌール勲章の日本人画家、名前度忘れしたけど、彼がもっとも無頼な品格のオーラを放っていた。やっとアーティスト見た、って感じましたもん。という件です。 ありがとー。わかるわかる、そうなんですかー。藤井さんの音楽は外部にあるけど骨格があるからね。 そうそ、安易な塗り塗り色彩パレットじゃないわけよね。郷子さんのは。えもいわれぬ混濁がどーんと在るという。 おはようかよちゃん。おおー、そういう語彙になるのね、洋輔と藤井の違い、対談集をつくろーね よーすけはこの件では若く優秀な女生徒に目を細めているおやじ。ハザマとフジイの差ですな。 かよさん、いいレビューね!■ おお、ありがとさんです!凄く素直ないい音で吹くだよ、このイルニガー氏。本人名義のバンドのもよかったのだが書きそびれた。ヴェラ・カッペラーというピアニストが参加してるやつで、すごくアタリのピアノだった。
内田樹のこのテキスト、なるほどねえ・・・
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配偶者の「才能」「美貌」「情愛」などについて世間に知られることが少なければ少ないほど、「この人のほんとうの人間的価値を知っているのはこの世で私ひとりだ」という確信は深まる。 私が「この人の人間的価値」の唯一の証人なのである。 私がいなくなったら、この人はそのすばらしい人間的資質を誰にも認められぬままに終わる可能性がある。 そして、この確信から導かれる遂行的結論は「だから、私は生きねばならない」である。 もし、あなたの配偶者が誰が見てもすばらしい人間であり、周囲の人々がそれをほめそやすとしたら、そのことは「人が羨望するような財を手に入れた」という満足感はもたらすかもしれないけれど、「だから、どんなことがあっても私は生きなければならない」という使命感はもたらさない。 もし、あなたが真に人間的な人であったとしたら、「人が羨望するような配偶者を独占していること」について、無意識的な「疚しさ」が生じるはずである。 「誰から見てもすばらしい人間」を私的に占有することについての「罪の意識」は、人間が共同的な生き物である限り、必ず生ぜずにはいない。 その行動は、どこかで「この人は他者たちと共有されるべきである」という不条理な結論にあなたを導いてゆく。そして、あなたは配偶者を、気づかないうちに、「なかなか家に居着かない」方向に押し出すようになる。 つまり、「誰が見てもすばらしい、みんなが羨む配偶者」を得た人間は、その代償として、「私がいなくても、この人の才能や美質は引き続き高く評価されるであろう」という確信を埋め込まれる。 それは「私は存在しなくてもいいのだ」というアイデンティティの危機を遂行的な結論として呼び込むことになるのである。 それゆえ、古来、配偶者の選択については、「できることなら、誰も羨まない人間を選ぶ方が無難である」ということがひそかな人類学的ルールとなっているのである。 もちろん、そのようなことは決して公言されない。 「どうして私と結婚したの?」 「だって、キミのことを誰も愛していないからさ!」 というような会話の帰結は明らかであろう。 これは「だって、キミのすばらしさを理解しているのは世界でボクひとりだからさ!」と言わねばならない。 そして、この二つの言葉は実は同じ意味なのである。 話はこれでは終わらない。 いまなかなか結婚できない方々が30代40代に多いが、その理由は彼らが「適切な配偶者についての一般的基準」というものがありうると考えているからである。 これはたいへんに問題の多い性イデオロギーである。 上で述べたように、「適切な配偶者についての一般的基準」というものがあるということは、この基準に照らしてランキングが高い異性は、すでにその条件によって、「あなたがその人の配偶者である必然性はない」ということになるからである。 多くの人の羨望の対象であるということは、あなたの「替え」はいくらでもいる、ということである。 誰でも自分と「代替可能」であるという自己認識がひとを幸福にすることはありえない。 しかし、私たちの社会は挙げてこの「人間的価値の数値的・外形的表示」に狂乱している。 それがどれほど致命的に私たちの自尊感情と自己愛を損なっているか、それについて私たちはもう少し真剣に考慮した方がよい。
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