Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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3月21日、震災から2度目の月曜日の朝を迎えようとしている夜明け前の午前4時から5時にかけて、NHKチャンネルはウエザーリポートの雨の分布を示す静止画面を映し続けていて、BGMはキース・ジャレット『ケルン・コンサート』が冒頭から60分間だった。
何十年ぶりに聴くのだろう。部屋の小さなテレビでチープな響きで鳴っている。暖房を止めていた寒い部屋で布団にくるまって目を閉じて聴く。
この作品を傑作だと明言するのははばかられるようであったのは、いつだってそうだった、いまだって傑作などという言い方は成り立っていない、ただ、なんというか、この作品には個人的には多くの瞬間が封じ込まれているもので、いや音楽なんていつだってとても個人的なところがつながってくるやっかいな代物なのだけど、それで、聴きながら懐かしかったと言いたいのではなくて、なにか、この作品は今こうして鳴るようになっていたのではないか、と、あとから思ったりもしていて、それは、記憶にあるものはすべてここにない、と、いうこの『ケルン・コンサート』の音楽が持つ意味、とも、どこかでつながっているような気もして・・・。
と。なにげにセンチなことを書いているなあ、と、ネットでケルンの画像をさがす途中で世間の評価が見える。おいおいおい、そんな最高傑作だの、即興の芸術性だの、代表作だの、そんなレコード会社の宣伝文みたいなことを言うなよ、それにねえ、だいたいこの震災のあとに、記憶にあるものはございません、だなんてよく書けるよな、撤回しろ、撤回。
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