Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2010年12月27日(月) |
神経痛が半減以下になってきたのである |
今年もあと少しになっていました。師走の足は速いだなあ。
カフェズミでのECMカフェ、アップリンクでの純喫茶ECM、それぞれの打ち合わせ、ろっ骨を折ったあと四谷いーぐるの益子さん講演に出かけたこと、カフェズミで座間さんとピサロを聴いたこと、家族とのいくつかの食事、偶然の勢ぞろい、お水取りも今年のことだった、
奈良への道、京都への道、数年前に一度だけ行った倉敷や浜田への道、秋に走った青森への道、
いよいよ子どもの頃のチャリ小僧だった気持ちが、ドライブ小僧になって、日本じゅうのあちこちがわたしの中の停留所の地図に、わたしの領土になってゆく。わたしの領土になってゆくのは征服欲の転化ということではなくて、なにか、わたしがわたしの記憶とともにその地図全体に融けてゆくような心境のことだ。そういうのがまた老いなものか、どの小さな風景も懐かしい。
出会ったライブやコンサートのひとときもわたしの中に積もってゆくのがうれしい。
まあ、年末年始に休みはないおいら、そんな牧歌的なことも言っておれないので、これから風呂で神経痛の肩を暖めて、職場に着いたら赤コーラとロングピースで気合いを入れっぞ!という午後4時。
空手家の友人が「へその下の丹田にちからを入れて、両手の小指にちからを入れて、こぶしを握って動くんだ」という。丹田と小指はつながっていて、格闘の基本なのだという。やーさんが小指を詰めるのは、それによって格闘する人間として失格することなんだという。牙を抜かれること、去勢されることを意味するのだという。おー。それで、小指にちからを入れて過ごしていたら、神経痛が半減以下になってきたのである。
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