Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2010年11月04日(木) 動詞としての「アンビエント」

「Why Sheep?のファースト、ホワイトウールジャケット」まだ所有しておりました、買いたいひとはご連絡ください。

アンビエント・リサーチ第3回で配布されたテキストを読んでいる。
金子智太郎、福島恵一、虹釜太郎の3にんによるA4版41ページにわたる触発に満ちたテキスト群だ。

福島恵一が”動詞としての「アンビエント」”を最後に提唱している。

中井久夫の「分裂病はむしろ動詞だと考えるとよい」という言い方。病むのは人と人の「間」、空間であり、関係性である。「間」である空間/関係性が自ら病むという「自動詞としての分裂病」があり、そこへ人が巻き込まれていく。

そ、そんな巻き込まれるようなアンビエント、の、位置付け。

音楽には演奏者がいる神話、で、わたしの聴き方はヴァージョンアップしたばかりだけど、聴くのはわたし(の耳)だという神話、にまで行くのか。

虹釜さんのテキストを読んで、そもそも現在生きているわたしが聴くことのできない、さまざまな次元の音が想定できることまでを考えれた。

ここまで来ると、わたしがアンビエントミュージックらしいと認知して聴いたほとんどすべての音源はつまらないだけのような気もする。

たとえばフィールドレコーディングを用いたアンビエントミュージックなんて潮流はすぐに飽きるような気がする。

でも。NHK「音の風景」はいいなー。NHKは全放送をCD化しろ。朗読無しのトラック、編集無しのトラックも聴かせてほしい。

お経のCDはできるだけ聴くようにしている。葬儀屋をしていた頃はなかなかいいお経がないなー、お!この坊さんの葬儀の実況録音を手がけたいものだー!と思ったりしていたけど、おいらの耳にかなうものはまだ世に出ていないようだ。

中井久夫は・・・おれも日記で書いたことがあったっけ?  
『徴候・記憶・外傷』 


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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