Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2010年05月20日(木) 日本共産党中野区議候補金子洋(かねこひろみ)に清き一票を

あさ8時すぎに山手通りを目黒から北上していたら、日本共産党の街宣カーが走っていて、
おれの小学校時代の朋友・金子洋(かねこひろみ)と同じ名前が中野区議候補でクレジットされていたのだ。

彼は学生時代に民青に入っていたから、ありえないことではない。

おれのくるまは5台くらい後ろを走っていたが、街宣カーが左折してゆくときに、候補者が振っている手だけが見えた。

函館市立港小学校の音楽クラブでおれが大太鼓で彼が小太鼓だった。あとはみんなかわいい女の子たちだった。シュトルム・ウント・ドランクな小学校時代だった。
候補者の手の振りは、あの時の小太鼓の叩きと一致した。

おれの小学校時代は悪ガキで、ファンタやビールのビンを酒屋から盗んでは換金して仮面ライダーカードをコンプリートしたり、おれの好きな女の子と仲良くしている成績がよくてまじめな彼をいじめたり、彼の自宅にペンキやチョークを塗ったくったりした、らしい。彼はつねにまじめな対話で根気強く悪ガキのおれとつきあってくれて、親友になった。一緒にベートーベンの運命の第4楽章を口ずさみながら歩いた。

中学になると校則のウラをかいて一緒にゲタ履きで登校したのが痛快だった。彼はつねに学年トップの成績を維持した。おれは全科目で勝てなかった。彼は学年トップなのに、休み時間には落ちこぼれのクラスメイトたちに勉強を教えていた。ほんとに絵に描いたようにいいやつだった。トーマの心臓の優等生みたいであった。

おれは何かで彼に勝ちたくて、合唱コンクールの指揮者になって最優秀賞を獲ったところで、おれは転校してしまった。おれは片思いのますみちゃん超美人と離れるのが辛かったことしか憶えていないが、彼はおれに中学生なりの熱い別れの言葉をくれていたような気がする。ますみちゃんとおれは5年後に奇跡の両想いになるのだが。

早稲田に進学した彼と東京で再会する。ジョイ・ディヴィジョン、キャバレー・ヴォルテール、モノクローム・セット、ギャング・オブ・フォー、スージー・アンド・ザ・バンシーズ、プリテンダーズ、ローリング・ストーンズ、デヴィッド・ボウイ、一緒に聴いたなあ。山歩きにも3・4回行った。デモにも行った。金大中を救わないといけない時代だった。

おれは早くに結婚して子供ができて、すっかり付き合いの悪い大人になって、いろいろ踏み外しているうちに互いに消息不明になっていた。

彼の人物はこのおれが保証する。おれは練馬区なんで無理だが、中野区にお住まいのみなさん、彼に清き一票を。

でもなあ、おれと日本共産党の考えは基本的な状況認識は一致しているんだろうが、どこか違うところがあっての。
おれは消費税をまじにちゃんと上げて財政再建して、セーフティネット拡充して、子育てはワーキングプア階級でも可能にして、法人税下げて企業を凶暴化させて、才能の海外流出を防いで、沖縄の米軍基地は成田空港を使用したらいい、と、こう思っておるんじゃが。プチ右翼かなあ。サピオ読んでるし。マクドナルド不買だし。コーラ中毒になってるし。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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