Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2010年04月25日(日) |
福島恵一さんの耳の枠はずし第3回 |
福島恵一さんの耳の枠はずし第3回、いけね曲目表をお店に置いてきたみたいだ。
ミシェル・ドネダ〜齋藤徹の春の旅01、 モートン・フェルドマンの点描ピアノ、 ゆっくりしすぎのサティ、 80年代を感じさせるハイナー・ゲッペルス、 ホセ・マセダのドローン、 密林のフィールドレコーディングス、 アトス山の教会実況録音
だいたいおれにとってのドローン理解は、ドローンとじっと鳴りやまぬ至福音、というやつであるが、 インプロが屋外に出て、自然や宇宙のざわめきに溶け込んでいった、というおれなりの音楽観を投影させて聴いてきた。
インプロなりフリーなりのCDを集中して聴くと立体的な図形とか色彩とか空気の動きとか気配とか逸脱した音の断片とか、 それこそ、耳の焦点を合わせるフォーカス能力全開にならざるを得ないところがあって、「音の空間にさまよう」ような状態に至る。 インプロ聴取の射程がこんなに広いものだった、とは、知らなかったとは言わないが、福島さんの切り口で鮮やかに、耳を触発した。
フォークミュージックからホセ・マセダからフィールドレコーディングへ向かって さいごにアトス山の教会実況録音に至ってしまうなんて、なんてステキな!
インプロ耳なりジャズ耳なり、おれの耳は福島さんの「ジャズ批評」誌のテキストによって育てられたところが大きいもので、 それをクラシックのコンサートに適用して、それが「通じる」のだ。三善晃作曲者自身と、辛口の評論家と、ホール関係者、芸大の教授と、 ほとんどクラシックには無教養なおれの聴取は一致するのである。
このところタガララジオという風呂敷をひろげているけど、インプロ聴取はジャズ聴取にもJポップにもクラシックにもノイズにも 日本の伝統音楽や声明、お水取りの実況録音といったものにも、そしてアトス山の教会実況録音にもつながってていいんだ、と、 そういう勇気を福島さんにいただけたような心境である。
アトス山の教会実況録音は、10ねん以上前に四谷いーぐるの連続講演で福島さんがかけたのだ。 「これを聴くと、ヨーロッパの深層にある、黒土(くろつち)に触れる思いがしますね」と解説され、聴いてしばらく口もきけぬほど感動してしまったおいらなのだった。 (そういえば、ディズニーのサントラとジョン・ゾーンのコブラの同一を説いたのにもおののいた!)
アウトゼア誌でミシェル・ドネダのページを作るときに福島さんや北里さんにお世話になり、そのときこのLPを貸してもらった。 おれはDATレコーダーでばっちり録音しておいたのだが、いま部屋が樹海のようになっているのでなかなか聴けないでいた。
ミシェル・ドネダがどれほど重要なインプロヴァイザーだか知らないで、ひたすら別格に美しく気持ちいい演奏をするサックス奏者としてしか認識していなかったおいらであったが、 10ねん経って、福島さんが即興のハードコアと位置付けて連続講演されるその主線にドネダを聴くことができ、 即興のハードコアの聴取がアトス山の教会実況録音に向かってしまうのは、それこそ、夢をみているみたいだった。
福島さんの講演内容はいずれ書籍かなにかで世に出ることだろう。 講演の内容もハードコアでプロジェクターのテキストを視てさえも追いかけられなかったおいらはお恥ずかしい、というか、 ふとアファナシエフなりクレンペラーなりの固有名詞が出てくるだけで膨大な関連情報がおいらの脳内に連想流入してしまい、 えっ!ほんとに?あ!たたた!と、わたしの脳のCPUはすぐにクラッシュしているのです。 理解することよりも心地よいことを優先して受信してしまうおいらの耳。
おれは講演を聴きながら、高名な坊さんの法話を聴いてはありがたい声明を耳にするような、 ただただ手をあわせてありがたい気持ちにあたまを下げながら音楽を聴いているばかりであった。
この日の講演を聴いて、こんだけ幸福な気持ちになっているのは、おれがいちばんだろう。 とまあ、自慢げに書いてしまっているけど、福島さん、ありがとうございました!
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