Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2010年04月24日(土) |
修二会の写真集を2さつ |
いまだに修二会「お水取り」の深夜の達陀の行法(だったんのぎょうほう)に立ち会っている心地がしている。
二月堂の外陣で立ったままでいる。
思い詰めることが芸術の真髄である。 ECMは孤独であり沈黙であり思い詰めることであることを耳をそばだてるいしずえとしている。 が、ここのところのECMの制作圧力は過剰で抑圧的でいささかスタティックで安易なものだ。 音楽を捏造し、わずかに成功し、大半を台無しにしている。
修二会の写真集を2さつ借りている。 ●小学館 東大寺お水取り 二月堂修二会の記録と研究 \4800 これはカラー写真で資料がすばらしい ●奈良新聞社 南無観 今駒清則写真集 東大寺お水取りの光陰 \2857 白黒写真の芸術 達陀の一瞬は夢のシーンだろう
『黒田悪党の中世史』新井孝重著 NHKブックス1035 奈良の東大寺を再建するために、伊賀の国は黒田荘から木材が伐り出されていた。 木が伐り出されることで山は禿山となり、洪水が頻発し、結果の苛酷な環境から、 中世の自治組織である黒田悪党が成立していく。
司馬遼太郎の街道を行く北海道編で、 新十津川町は、明治初期の奈良県十津川村が水害によって土地が水没してしまう壊滅的な状態となり、 その住民が十分な衣服も持てずに秋の北海道に入植して作った場所であることが記されていた。
新十津川町は、おいらの曽祖父が地主をしていた場所であったから、 →十津川村というのは、東大寺に材木を拠出した結果の水害で壊滅的被害を受けたのだろうか →おいらの先祖は奈良県でお水取りの籠松明を作っていたのでは →おいらの祖先は東本願寺の僧侶であったとおやじからきいたことを思い出してしまう
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