Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2009年06月04日(木) |
アイヴォー・ボルトン指揮ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団 |
おかあちゃん、おれ、東京文化会館の天皇陛下が座る席でモーツァルトを聴いてきてしまっただよ。くわばらくわばら。
アイヴォー・ボルトン指揮ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団。 6月3日(水)東京文化会館 大ホール S席140ドル。
ピアニストはだめでした。 指揮者はふつーでした。 歴史を貫かせてきた響き、風格、伝統の深みを聴かせた管弦楽団はさすがでした。
モーツァルト協会のおじいさんたちが入会手続きのブースを開いていました。
なぜおいらはクラシックのコンサートにあしげく通い始めたのか、と、問われる。 理由はかんたんで、聴こえはじめたから。他者との照合という定点観測をして、対象α、これは絶対に認識できないのだけれども、自分の感覚がかなりあてになると、耳の素手で、捕まえることのできない謎、おぼろげなる対象α、を、追いかける草原の少年のような心持ちになっていた。
オノセイゲンがアイヒャーに取材した記事、そこでのセイゲンはジャズについて。■
20代のころ、おれは中学高校大学受験の大手予備校(あの副島隆彦も教えていた)で進学相談を1000件以上こなしていた。くだらないニンゲンの欲望が、発する言葉の意味とはほかのところ、表情や身動き、に、色彩のように映った。
音楽には精神があり、感情があり、風土があり、祈りがあり、喪失がある。
それがどのようなものかと聴く者は、やはり書物からのコピペ(熟語や論理構造とかも含む)ではなく、なにかもっと伝えたいという工夫に試行錯誤しなければ音楽たちに申しわけが立たないような気がしてきたのだ。
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