Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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| 2009年04月07日(火) |
アントニオファラオのパゾリーニに捧ぐ |

でまー、ピアノトリオというフォーマット自体に、ジャズは飽いておると思われる昨今。
だいたいテザート・ムーンという表現の地平をみせつけられていて、 ジャレットやメルドーのピアノトリオとその亜流というマーケットを温存して甘やかしているだけのおれたちリスナーが悪いと思わないか? 菊地雅章のピアノはワンオブゼムではない。老い先みじかいモチアンが彼を手放さない理由だってそこにあるだろ。お、このテキストつかえるな・・・。
同じピアノトリオでアントニオファラオのパゾリーニに捧ぐ。 ファラオのピアノ自体はどうでもよくって、ヴィトウスの暴力団の用心棒めいた、ザヴィヌル死して後出しウエザーリポートヴィジョン(ユニバーサルシンコペーション2のこと)で仇討ちを果たしたベースの存在感と、それにじつにいい距離感を保てるユメール御大のタイコ、が、なかなかいい。
パゾリーニに捧げられるような演奏だとは思えないけど。
たとえばさ、 ジャレットがヴィトウスとユメールと演るという賭博に身を晒すならば、それはそれなりにジャズを体現していると思える。 ジャレットとウイントンは、その態度においておれには大差ないと思うんだな。
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