Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2009年02月24日(火) 3年4ヶ月ぶりの渋谷メアリージェーン

東大駒場駅の下見ついでに渋谷に出た。ホテルではたばこを吸えない。渋谷で行くところはひとつしかない。

渋谷メアリージェーンに行くのはいつ以来だろう。
3年4ヶ月ぶりだった。
こういうやりとりがあったのをすっかり忘れていた。

メアリージェーンのおねえさんは「なんねんぶり?きよちゃん、げんき?」と3年4ヶ月まえと同じなのがうれしかった。

なにげにおいらはこのところの体重増で78.9kgという人生最高体重に迫っているのがはずかしかった。

カフェオレでロングピースを4ほん吸うあいだにかかっていたのは、ドン・ピューレンとコートニー・パインだった。



ドン・ピューレンは93年の『Don Pullen & The African Brazilian Connection: Live...Again-Live At Montreux』で、サックスのカルロス・ワードを従えてアフリカのパーカッショニストを土台にした素晴らしいジャズを演っていた。ピューレンのトレードマークである千手観音奏法ではなく、実に狙いすましたジャズピアノを弾いており、おれ、ピューレンだとわからなかった。ピューレンは95年に亡くなっており、晩年の演奏はキップ・ハンラハンの千夜一夜で聴いた記憶があったが、こんな豊饒な音楽を作っていたとは、ますます惜しい。

カルロス・ワードはあまり知られていないがダラー・ブラントとドン・チェリーと3にんで制作した名盤『The Third World Underground』(1972) で学生時代に大好きになった記憶がある。これ、トリオ・レコード制作で稲岡さんの仕事じゃないか。レア盤になってしまっているんだー。メンバーのセレクトがすごいだろ。出来もいいんだ。CD化してほしいなあ。

コートニー・パインはデビュー時に話題になって聴いたきりだったけど、00年に発表された『バック・イン・ザ・デイ』を聴いた。ロンドンのジャズ/クラブ・シーンで第一人者となって00年には大英帝国勲章まで与えられているという。ヒップホップやクラブミュージックに乗せて吹くサックスにはもう興味はないわ。だって、そういうのってスティーブ・コールマンがMystic Rhythm Societyで演った次元の探求にくらべたら、どうしても耳は不満になるものだし。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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