Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2009年01月11日(日) |
グスターボ・ドゥダメル指揮SBYOベネズエラのエクスムジカ長木誠司 |
9日の朝日新聞夕刊の文化欄。
「金融恐慌のような暗い影が重くたれ込める時世にこそ華やぐ。それが歌舞伎の使命の一つだろう。」 と演劇評論家の天野道映が書き出す。 おい、ジャズだってそうだぞ。
おれがこう書いたグスターボ・ドゥダメル指揮シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ(SBYO)■ について、音楽評論家のエクスムジカ長木誠司が痛快にこう書いている。
「これはお祭りだ。」と断じている。
チャイコフスキーの第5交響曲で、表現はジェットコースター的高揚と落下を繰り返し、終楽章の速度はロケット並み。 祭りはアンコールのバーンスタイン「マンボ」で最高潮へ。全員が楽器片手に舞台上で踊り出す。 そのお行儀の悪さは、米国作曲家に簒奪された「マンボ」を、いまこそ奪還するような思い切りの良さがあり、痛快だった。
と、書いている。
さすがだ。
おれは「マンボ」については文章の勢いがもたつくので記述しないでいた。 コントラバスもヴァイオリンをも、くるくると回してみせてオーケストラは立ち上がって踊ったのだ。笑ってしまうようなお祭りだったのだ。 で、 “米国作曲家に簒奪された「マンボ」を奪還するような”という表現が、さすが現代日本を代表するリスナーだなと思う。 これが長木の横綱相撲だ。
おれは「お祭りだ」と断じて暗にクラシックの崇高なるヒエラルキーを擁護する立場は取らない。 三善晃やシェプキンや関野直樹やアンサンブル金沢や潮田益子や寺嶋陸也ぐらいでないとドゥダメルに対抗できないのだ。 現代音楽の凋落を踏まえていない。大御所の安寧を突いていない。 そういったヒエラルキーの溶解に触れてもらわなければならない。彼には。
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