Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2008年05月13日(火) |
ブルーノ=レオナルド・ゲルバー ピアノ・リサイタル 草稿 |
ブルーノ=レオナルド・ゲルバー ピアノ・リサイタル 2008年5月11日(日) 彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
『悲愴』『ヴァルトシュタイン』『テンペスト』『熱情』というオール・ベートーベン・プログラム。このところ溜池山王13番出口からサントリーホールに向かう地下通路やオペラシティの地下駐車場のポスターやチラシ袋の中から、それはそれは濃いおネエがおのピアニストが睨みつけているのに、お母さんクラシックもまた怖いところのようですなどと、思ってはいた。人気者なのかゲルバー。名前からするとドイツ人?顔からするとやっぱりハーフ?つい魅入られて来てしまった会場は超満員。明かりが落ちる。ステージ左そでから128キロぐらいあるゲルバーさんが左足をひきながら登場。これだけ太ったピアニストといえば、バド・パウエル。あのタッチの繊細さと強靭さは、指を支える本体の重さが前提。バレンボイムにもそういうところがある。ピアニストに重量級別はない。おれが最近聴いたピリスのベートーベンは体重が足りなかったとしか言いようがない。第1音からハンマーを打ち込むような造形力を見せるゲルバー。さすがに稀代のベートーベン弾きと謳われるゲルバー。仔細を問わず、ベートーベンとはこうだ、全曲完全暗譜でゲルバーは腹の手前で乗り出した速度に「思いこそが演奏にとって重要なのだ」とコトバにはしないが見事な重厚をピタリと従属させている。この黙々と打ち込む密教僧の達観のような、厳しく荒々しくもありながら核心の一点だけは突き続けている態度。譜面に囚われるなぞ愚かな、それはミスタッチの言い訳ではなかった、会場にいる若い演奏家にバトンを渡しているのだとおれは直感した。耽溺するでもなく、冷静というのでもなく。ここにあるこれがそうだ、と、ゲルバーの全身の動きが示していた。ちなみにゲルバーをもってしても『悲愴』の第2楽章はおいらにはビリー・ジョエル、いやビリー・ジョエルが歌にしたのはゲルバーの『悲愴』であったか。もとい、ゲルバーは弾き終えて、左手をピアノに置き体重を支えて胸をはる。観客席の左上方に右上方に視線を置いて、凛と笑顔を向ける。3歳半のときにピアノを弾きたくて駄々をこねたゲルバー坊やの姿が映っていたのだ、今書きながらわかった。アルゼンチン生まれのハーフ、だとか、ドイツ語を習得していないベートーベン弾き、とか、偏見の苦労があったのだろうか。このピアニストはすごい表現力があり、最盛期はとんでもなくて、いま、次世代へのバトンを渡している、と、わかった時、『情熱』のクライマックスでおれも感極まり鼻腔が痙攣して思わず声をあげてしまって会場のみなさんの迷惑になってしまった。帰って調べてみると、1968年にゲルバーを日本に呼んだのがかの吉田秀和だという。アンソニー・ブラクストンが『For Alto』を吹き込んだ年だ。ブラクストンを日本に呼んだのは福島哲雄と稲岡邦弥だ。脱線してすまない。
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